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神様への回心

Wooprah

 

はじめに
今日このように皆さんの前で証をする時間を与えてくださった神様に感謝します。今日はふただび神様に戻れるようにしてくださった神様の働きや受けた恩恵みを分かち合いたいと思います。

信仰の背景
私はクリスチャンホームで生まれ育ちました。家から教会の椅子に着席するまで1分もかからないほど近いところに教会がありました。
親が熱心だった理由もあって生まれる前から教会に出席し生まれてからは幼児洗礼も受けました。毎週教会に行き礼拝をし、聖句など暗記したりしながら子供の時期を難なく過ごしました。
中学校や高校のときは心の中で信仰生活に対する疑問点や葛藤もありましたけれども周りの期待におじるよう努力する良い子役の時期もありました。
大人になってからも頭では御言葉を理解するものの御言葉を体験したことがあまりなかったため神様に対する態度は熱くも冷たくもない状態でした。

信仰の群れから離れるようになる
そんな中1997年10月来日し留学生活が始まりました。日本語学校、大学、大学院研究生で8年が経とうとするところ人生で初めてのピンチを迎えました。教会内部で起こったある事件を通して教会の指導者や熱心なメンバたちの問題に対する態度をみてふっと思いました。
まるで政治団体のような気がしました。偽善的で偏狭な考え方やものの見方そして世的な考え方やランク付け等聖書の教えとは違う。さらに意見が合わなかったりすると集団主義的な思考を持っていてとてもとても理屈に合わないと思いました。こんな問題に直面しても誰にも聞けませんでした。
他のクリスチャンに相談したら理解できないだろうし、ノンクリスチャンの友たちに聞ける性質でもない、親に相談しようとしても私のことで悲しくなるかと思い聞けない。人生の個人的な個別問題は誰にも言えない答えてもらえそうもないと思いました。
神様がいらっしゃらないとはいえないが教会のあり方はどうもおかしいと思い演劇のようなこんな生活はやめると決めました。誰かにこうしなさいああしなさいばかり言われていざ質問したら信仰がないだの不従順だのこれじゃ一生信仰の道を歩みながら疑問点を晴らせないまま心に隠しておいて良い人、信仰の厚い人役をしなければいけない生き方をしなければいけないのだ。これからは自ら判断して生きるそれがいわゆる教会のメンバーたちがよく言う罪かどうかなど関係ない。だって誰も自分の人生に起こったことの責任を取ってくれないものだから。と強く心に決めました。

神様との交わりのない生活の実情(自分流の信仰)
8年の留学を終え韓国に完全帰国しました。1ヶ月ほど家族や親戚などの皆さんに挨拶周りを終えて8年間頑張った自分にご褒美と身も心も疲れ果てていたため半年ほどの旅行を企画してオーストラリアに渡りました。
4ヶ月間の東海岸旅行を終え約1ヶ月ほどのニュージーランド一周を終えて帰国しました。その後外資系不動産会社に就職し3年はマネージャとして良き人々との出会いもあり業務成果もよく順風でした。
教会には行きたいときには行き、事情があればいつでも省きました。酒を飲み、ノンンクリスチャンの人々との交わりが多くなりました。教会では言いたいことがいえないが、社会であった人はとても経験が豊富でいろいろ現実問題処理能力も抜群で話しやすかったです。
留学による8年間の空白があったため最初の段階ではやや苦労しましたが、なれることによってとても楽しく過ごしました。自我も膨張してこんなに人々から評価されて成果を残し結婚と言うめでたいことで韓国生活をきれいに締めくくってからシンガポールにいけると言うことは限りなく自分を思い上がらせました。
シンガポールには前もって就職活動で面接があり結果入社内定されていたため期待を持って入国しました。
しかし当時シンガポールの日系会社でエンジニアーだった旦那の方からもしかすると日本に行くかもしれないとのことが言い出されました。そこで業務の特性上短期で成果が得られないため入社できない事情を先方に説明し理解を求めました。そのようにして仕事の履歴にブランクが始まりました。久々の自由時間を満喫しながら今度は日本での就職先を探しました。無事入社が決まり早速も日本で外国人として働くための許可など得るために書類送付したりメールやり取りしたり日本に渡る日を楽しみにしていました。
そんなある日、体に異変が起こりました。インタネットで検索してみたら妊娠の症状だそうです。早速クリニックに行き診断したところおめでとうございます。妊娠6週ですといわれましたが内心は喜ぶところか第一に頭に浮かんだ考えはどうしよう大手企業の系列不動産会社で国際業務担当で採用され、行政書士先生により本人のビザ取得のためお金や時間そして苦労をかけたのにどう連絡すればよいかわからず心配ばかりが募りました。
2回目の検診で8週目で心臓が動かないとのことで流産手術を受けなければいけないと聞きホットする気持ちさえありました。2007年7月待ちに待った来日。生活も落ち着き会社生活も始まり忙しい日々を送りました。日本人と外国人との間で不動産に関する仕事をし成果を出すと言うのは言葉では言い切れないほどのもどかしいものがありました。しかも自由な雰囲気に激しい競争に結果だけでものをいう世界で生き残った成功の経験はもはや使えるもの所か乗り越えなければいけないハードルとなっていました。
自分が持っているものは何一つ使えるものがないと思うほど厳しい状況のなか会社に行くのが苦になりました。こんなはずがない心で毎日叫びました。自信満々で成果を出し夢見る生活をすると人生のスケッチブックに思い描いていた私にこれで良いのか大丈夫か自問自答の日々が続きました。
そんなある日入社7ヶ月でまたもや妊娠でした。前回の苦い経験もあり、ストレスが流産の原因となると先生に言われてしかも8週で心臓が見えるとのことだったので会社に退職届を出し家で休み始めました。3月末検診予定日で親の来日の前日、病院に行ったら心臓が動かないとのことで2回目の流産宣告を受けました。職場のストレスから逃げる気持ちもあって今回こそ元気に子供生んで子育てをするとの長い道のりを覚悟していたのにまたかよと言う気がしました。合わせる顔がなく母親に状況説明し翌日手術を受けました。2週間の滞在を終え親は帰国し一人残されました。前回とは違い体も心も異状な状態が続きました。頭は真っ白で早いスピードで回っていた機械の作動が止まってしまったようでした。
何一つ考えられませんでした。毎日涙が止まらず。前を上をばかり見て走ってきた人生に急ブレーキがかけられた気持ちでした。二度と社会に戻って輝かしかった以前の活動はできないんだと思いました。子供は作りたいときいつでも作れると思ったのに自力の限界を超える領域なんだとしみじみに感じました。

心境の変化
そんなある日の夜、横断歩道に立っているとき昔の信仰のときが思い浮かびました。自我で生きようとした結果がこれなら私はもう無理ですとつぶやきました。今の自分を見たらイエス様を3回も否定して自分の生業に戻ったペテロが夜が明けるまで頑張って苦労したのにもかかわらず1匹の魚も取れなかったときの彼に似ていると思いました。
瞬間次の映像が流れ、復活された神様が彼に訪れたときの彼の告白が脳裏に浮かびました。主よ私から離れてください私は罪びとです。神様を離れた人間が味わう人生の苦味を散々経験したような気がしました。
その翌日椅子に座り両手をあげ真剣にそして正直に自分の気持ちを神様に申しました。私をどうか回復させてくださいと。そして祈ってから信仰の回復のために自分にできることを決め、ノートに書きました。

第1.日曜礼拝を相対化せずに毎週守ります。
第2.十分の一献金を守ります。

そして来日の際母親がくれた聖書を毎日読み祈りました。今自分がどこに立っているのかわかるために。
ちょうどそのころ登戸エクレシア教会に出席しするようになりました。

回心
神様は毎週礼拝を通して大きな恵みを与えてくださいました。
2月22日私達の大祭司キリストと言うメッセージでしたが神様と人間との和解者としてのイエスキリストが十字架につけられたのだと言うところでは熱きものが体の中からのどまで走って熱い涙が流れました。
創造主なる神様がおつくりになった被造物の人間、神様の愛を表し神と交わるはずの被造物が罪により神から断絶され自分勝手な道を進み、時には自分の人生さえもまともに経営できないくせに神様が今現在世に出された68億人分の1の人生経験しか持ってないながら神様の長き救いのための努力や忍耐を無視し自分の頭で理解できないからと言って神様の無条件の愛や恵みを価値のないものにしてしまった自分が情けなく、それにもかかわらず私の生きる道を示してくださったことに感動でしょうがなかったのです。
信仰者の群れから離れ、神様に背いて10年近くさ迷いながら罪を犯したのにもかかわらず、私に手を差し伸べさらに申し訳ないと思う私にあなたの罪のためキリストを十字架にかけ罪の代価である死という値段を支払ったのよ、とささやいてくださる声が聞こえるかのようでした。
私の霊的な姿、現実の生活の姿ではどうも神様に近づけないがそんな私のためにきれいにあらわされるためキリストがこの世に来られたのだ。心に救い主イエスキリストがこれから自分の人生のオーナになってくださるように切に祈りました。
神様が創造主であり救い主であることと、人間は神様に栄光を帰させるための被造物であることを心のそこから確信したらいままで自分を苦しめていた多くの問題の原因が何であったか、今自分がどこにいるのかがはっきり見え始めました。
自分の中の混沌そのもの、それは永遠に変わらぬ神様の存在や約束の御言葉と滅びる道に走りたがる性質の自我の主張と順位が変わっていたからなんだとわかりました。
結婚以来自分は韓国人でもないし日本人でもないシンガポール人でもないコミュニケーションに深刻な問題が生じていました。どこにも属することができずポジションが変わるたびにその国や組織が要求する美徳も評価もかわり相対的なことにあわせる努力に疲れていました。
やっとわかりました。揺るがないものの上に人生設計をしなかったんだと思いました。
これから私の国籍は地上では韓国ですが、究極は天の御国の市民権者で認識するようにしました。どうせ地上の国は一時的な旅行地に過ぎないからです。
第一言語もバイブルという世界共通語にしました。どんな国籍者も異なる歴史や文化を有する人も天国の言語で話すときは誤解がないとわかったからです。
教会というもののあり方や意味に関してもいろいろと思い知らされました。
神様はずっとずっと私を見守ってくださったのです。おろかなものが自分を自由にさせてくれる真理をすてて、神様に背く自我が選択した混沌の世界に踏み切り目まぐるしくしていて、本来の創造の目的から離れていたものを自分が選択した道から抜け出せない苦しい経験を通し御言葉を通し、矛盾だらけの自分を自ら発見できるようにして、天の父なる神様の懐に走って戻れるようにしてくださったのです。
神様はその後も自分の愚かさや高慢さ矛盾を発見できるよう、本当にやさしく悟らせてくださいました。
2009年は1年を通し悟りの連続でした。たくさんの中ひとつを紹介します。
人生はとても短いと思い、いつ死んでも悔いが残らないようにとベストを尽くしてきたつもりでしたがある時期、自分が重い病気にかかっているかもしれないと思い始め、不眠症にかかり一日中その思いで聖書に書かれている表現のように骨が乾くような気持ちになったりして、なかなかとんでもないこんな悩みでほぼ3ヶ月苦労しました。
ある日思いました。どうすれば健康な体が作れるか食品情報や運動に関しての情報をたくさん調べていて健康には自信がありましたが、実際体調とは関係なく悩むことがどれほど人間を無気力にさせるかわかりました。
私は死に対して堂々とした姿勢を持っているつもりだったけど実はその自信感というのがどれほどあてにならないものか。その日ひざまずきました。
「神様やっとわかりました。何の心配もなくベッドに入るとすぐ眠れて朝になると起きて元気に生活ができたのは、実は主の恩恵みだったのですね。何気ない根拠もない心配が人を麻痺させることもできるんですね。」と、感謝の祈りをささげて「神様が守ってくださらないと、人生100の内99のリスクを管理しても残り1の領域の問題で崩れてしまうのが弱い人間の実態です。」と告白し、今まで当たり前に思ったことや、自分の能力でやってきたと思ったことが実は神様の愛や哀れみのおかげだったことがわかりました。
その夜ベットに入り胸に手をのせて静かに祈りました。主よ私の心を強くしてください。寝る間にも守ってくださり心配や悩みから開放してください。明日起きたとき第一に主の十字架を思い出させてくださり主の私に対する愛や恵みを覚えさせてくださいと祈りました。そして目をつぶって起きたら朝でした。
身の回りで起きたことを通して、また他人の経験を通して上で述べたようないろんなことにおいて、罪に関して人間に関して生きるということに関して、数え切れないほどの教訓をいただきました。頑なな私の心を砕いて身を持って御言葉を体験させてくださったのです。
神様の約束の御言葉を信じ、時には自分の考えにあってなくても御言葉がそうであるとすればそれに従順していきたいと思います。

今は
今私は妊娠14週を迎えています。後1週間すれば安定期に入るとのことです。
神様と和解してから生きる意味もまた自分がどこに向かって人生を生きているかもわかっている状態で命に関する神様の計画や愛を考えるようになって子供が授けられたことに感謝します。
今思えば2年前成功への執着で価値が転倒され命より仕事優先というばかばかしい発想でよくも生きてたなと今でも思ったりします。子供をこの世に送るのもその子に対する計画も神様が持っていることを確信します。
胎児には毎日聖書を読みきかせています。生まれたら神様が創造主であることや救い主であることをしっかりと教えたいと思います。それにいかに生きるべきか、人生に対する態度や観点を親の限界だらけの経験によるアドバイスでなく永遠なる変わらぬ価値である聖書からしっかり学ばせるよう天の父なる神に託し、祈ってあげたいと思っています。
神に背いて永遠に神様から断絶されるしかほかない滅びのレールから急ブレーキをかけ、時間をじっくりかけて私がわかるようないろんな方法で神ご自身を表し全人格で神様の愛による許しを受け入れ聖霊様とともに歩む希望の人生のレール、命へのレールに路線を変更してくださった神様に全身全霊で感謝します。