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バプテスマのときの証し

 T.K

 

私は、生れた時から、熱心な仏教徒の家庭で育ちました。何を信じていたとかはなく、お経を唱えれば “徳がつまれる“と教えられていたので、自分にとって大切な時期は特にお経を唱えたりしていました。
成長するにつれて、会合などに参加するのが、自分の意思ではなく義務になっていき疑問が生れました。“宗教は自由なのに、私は決められている”と。
小学生のとき、TVで“天使にラブソング”をみて、ゴスペルという音楽をしり、教会でシスター達が楽しく歌っている場面を見て、私も歌ってみたいと思いました。
そして、高校を卒業して、実家にいましたが、自由に行動できるようになっていたので、インターネットで探し“クリスタル オブ ジョイ”というゴスペルクワイヤをみつけました。初めて見学に行った時、お祈りに抵抗を感じましたが、“英語で歌ってて楽しくてカッコイイ”と思い、始めることにしました。初めはただ楽しくて意味もわからず歌っていました。
親にゴスペルを始めたことを話すと、“クリスチャンでもないのに。うちは仏教だから、そんなところに行くんじゃない”と言われ、私は、“クリスチャンでなくても歌っていいでしょ”といい、私にとって一番の楽しみだったので止めませんでした。
北海道なので、冬は自転車でかよえず、親は反対していたので、迎えには来てもらえなく、ゴスペルの仲間が家まで送ってくれてゴスペルに行くことができました。感謝です。
ゴスペルの練習の時、牧師さんが歌詞の意味を聖書を通して教えてくれ、“ゴスペル=福音=GOOD NEWS”よい知らせで神さまに向かって歌っていると知りました。
でも“神さまっているの?神さまに歌うってわからない”と思いながらも楽しく歌っていました。それでいいと思っていました。
メッセージで“イエス様は、私たちの罪のために十字架にかかられた”と言われても、あまりピンとこなくて自分に関係しているとは思えませんでした。
コンサートやワークショップに参加して、歌ったり、メッセージを聞いている時、涙がでてくることがよくあり、胸があつくなりました。意味はわかりませんでした。
今から5、6年前、メグさんこうじさん達がワークショップのために旭川に来てくれました。
そのコンサートのとき“Make Us One”を歌いました。練習では何も感じなかったのに、その時は、みんなの気持ち、声が一つになっている感じがして涙がでてきました。
そして、すごく明るい光がきて、一瞬、涙で目の前がみえなくなったかと思いましたが、その光はまだあって、“あれって神さま?きっとそうだ、いたんだぁ”と確信しました。
霊は、物体としてみることはあっても、光は初めてで抽象的でしたが、ここにいるとわかりました。
今思うと、ワークショップやメッセージなどで神さまをうけいれる準備がされていたのかと思います。
ある牧師さんが“ゴスペルを歌っているということは、すでに神さまに興味をもっている”とメッセージをくれて、そのとおりと思いました。
このことは、誰にも話すことなく、少したってからは、資格をとるために勉強に集中して、それがおわっても、病院や学校、その他にも仕事をしていたので、ゴスペルをやめて生活していました。
伊豆に行って落ちついてから、ゴスペルを歌いたいと思う感情がおこり、よくゴスペルを口ずさんでいました。
伊豆では、3年ぐらい接客を学んだら、東京に行こうと思っていたので、またゴスペルが歌えると思って頑張りました。
そして、引っ越して多摩ラブに行くようになり、ゴスペルのこと、神さまのこと、聖書を学びたいと思いました。生活の中で、仕事が一番ではなく、ゴスペルが一番になって、毎回行けるような仕事を探そうと気持ちがかわり、看護士の仕事は2度としないと思っていたのに、今は訪問入浴の介護の仕事をしています。
教会にも行きたいと思っていましたが、1人ではいけずにいました。ある時、ともちゃん家に看護の教科書をもらいに行き、“夕方教会に行くけどたみちゃんも行く?”とさそわれて初めて教会に行くことができました。
何度もいこうとして、いけなかった私は、とても嬉しかったです。信仰告白はしていなかったのに、コイノニアにも誘ってくれて“なんでだろう”と思いましたがとても嬉しかったです。
その後、ゆうじとも話す機会がふえて、信仰告白ができました。コイノニアやゴスペルの仲間にも話すことができ、感謝です。
教会に通うようになって、神さまとむきあってからは、イエス様が私達の罪のために十字架にかけられて、そのために今までの罪もこれからの罪もゆるされていることが、‘自然’と心に入ってきました。
また、自分にとって必要な学びが与えられ、クリスチャンの夫も与えられて感謝です。
親には、神さまを信じていることは伝えてなく、私と結婚する人は、同じ仏教の人しかだめと言われていたので、北海道に結婚のあいさつに行ったときはどうなるかと思いましたが、いろんな人達が私達のために祈ってくれたおかげで、スムーズにいって感謝です。
私たちは弱いため、クリスチャンになっても、日々葛藤することがあります。サタンは少しのすきまをねらってきます。そのとき、いつでも、2人で祈ることができ、1人よりも強いです。同じように神さまを一番にして歩めるパートナーがいることはすばらしいと感謝しています。一緒にゴスペルを歌えることも感謝です。
まだ両親には、うちあけていませんが、日々祈り、話せる日のために準備していきたいです。