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私はいつでも神様の前で幼子の様に在りたい。

 木下 秀明

 

私は平成19年の12月にイエス様が私の主であることを思い出させていただきました。
それまでの私は無神論者で「もし神がいるならば私自身が神である。」と想ってしまうほど自己中心的な高ぶった心の持ち主で、そういう考え方の人たちに心から共感し同調して生きていました。
この様に、神様を少しも省みることをしない私にも主は様々な難題を次々に私にぶつけ、その難題を解くヒントを与えながら私と神様との和解に導いてくださいました。
主が私に与えた難題は私に死の選択を考えさせる程、私のみの力では解決できるものではありませんでした。
私が主と出会った時、私が背負っていた重荷がすべて取り除かれたような感覚があったのを覚えています。ちょうど親とはぐれてしまった子供が親の元に帰ることが出来たときのような安堵感が私を包みこんで涙が止まりませんでした。
あの日から今日までの間、神様は私を懲らしめと慰めと励ましと癒しと深い愛をもって母親のお腹の中の胎児のように大切に育ててくださいました。その中で私は主は生きておられ、いつでも様々な形で私たちにその存在を現してくださることを知りました。
私は神様の愛に答えたくて、喜んでいただきたくて、神様の教えに耳を傾け、その御教え通りに自分の精神と行動を保とうとしました。しかし、それどころか逆に自分の中にある神様の忌み嫌う部分ばかりが目に付くようになってしまい、それが罪の意識として私に重くのしかかり、その重圧に私は潰されそうになっていました。
しかしある日神様は、「主が私たちの罪を一身に背負い、死んでくださった事によって、私たちの罪が赦されている。」ということを私の頭にではなく、私の心に教えてくださいました。神様は、私たちが不器用であろうと成長が遅かろうと神様の道を必死になって歩もうとするその姿、その心を喜んでくださいます。また、私たちが悪い時にはすぐに愛を以って叱ってくださいます。
 私は今、神様の愛を実感しています。たとえこの世に私を愛してくれる人が一人もいなかったとしても、神様が私を愛してくださっているということを確信できるのは他の何者にも比べられないほど心強く、私に希望を与えてくださいます。
今日も主によって罪を贖われ、毎日新しい命を与えられている私ですが、今日は特にこの時を与えてくださった事を私たちの主、イエス様の御名によって心から感謝します。アーメン