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神のみ聖書のみ

 

丸山ケエスケ

 

主イエスキリストの名前で僕自身の事をのべてみたいと思います。
 僕が平凡で幸せな学生時代を卒業して、社会人の第一歩をスタートした時代、僕の父親は「負けるんじゃねえぞ」と僕の顔を見ると言っていました。でも僕はまわりのすべての友人、先輩に屈し、いじめが起きても、いじめに参加しないように逃げるか、いじめる側に入りこんでいました。しかし内心ではいじめを受けている人の勇気と誠実さを尊敬していました。
職場に入社しても先輩、同僚との競争では意見考えが明らかに違うときでも、意見をたたかわせず、自分の意見を誠実に毅然として主張ができませんでした。
入社検診の時に担当のドクターに「お前どうせバイトなんだろ」と問われた時に、思わず「ハイそうです」と答えてしまいました。結果バイト採用時の検診は甘くアバウトですから「合格」をもらいました。
僕の社会人としてのスタートはこの嘘でスタートしました。仕事はたのしく力を発揮することができました。社員全員で70名にみたない零細な会社でしたが、70名全員がライバルです。ライバルの力を削ぐために批判しあっていました。仕事を離れても仲良くできませんでした。人の成功に大きなダメージを受けました。働く仲間とは、お互いに傷つけ合いながら、仕事の努力はたのしくあっという間に年を経て、たまたま知り合った女性と結婚しました。お互いに結婚に拘束されず、自由に楽しく過ごしました。お互い好ましい相手を見ると接近して、時間を過ごしましたから、僕たちの結婚は意味のないことでした。妻は娘時代と同じようにお茶やお花のお稽古に出掛けて家を留守にしていました。僕は会社に勤務していましたが妻は自由でした。
妻は大学の英米文学部を卒業していましたが、ずうっと岩波の英語スクールにも通っていました。僕が深夜帰宅しても家にいませんので不満を伝えましたら、あっさり離婚となりました。それでも僕はたのしく仕事にはげんでいました。会社は、またたくまに親会社を抜きさり、出版業界のトップの成績を上げるようになりました。僕の会社のお隣は救世軍の教会でした。外見はどこにでもある5階建てのビルですが、中に入ると1階が教会になっていて座席が200ぐらいならんでいました。仕事のあい間とか夜間仕事が終わってから、お話を聞いたことがあります。イエスの話を聞けば聞くほど俺達には、イエスに近づく資格はないと思っていました。子供のころのサレジオ教会やイグナチオ教会のおいしいおやつを思い出します。仕事からは、自尊心と世間体と高収入が得られ満足でした。社長は常々僕らに向かってこう言っていました。「おまえらが100年遊んで暮らせるぐらい儲けたぞ」僕のいのちは、この世間体と自慢と収入で補強されていました。年を経退職後は、知り合いから「やってくれ」「手伝って、頼む」と言われるとどんな仕事も引き受けて大型トラックの運転もやりました。「負けるんじゃねえぞ」の言葉とともに父親を思い出して、最も愛してくれた父親になにも親孝行しなかった自分が情けなく、申し訳ないという気持ちで胸がつまります。
僕の父親は徴兵で、中国戦線で負傷して病院で治療中に本隊が南方戦線へ出発してしまって、病院に残された父は、その時、すべての戦友をなくしました。南方に向かった戦友は全員戦死しました。敗戦後帰国した父は事業に成功して男の子4人を育てました。
父が経験した第2次世界大戦や、学校で学んだ歴史の時間で、日本の戦争を客観的に考えることが出来ました。いまだにわからない謎もありますが、日本人にも過去の様々な事実があり、大量の殺戮の事実、罪悪の故に僕は今生存していることを知りました。
 
娘が教会に通いはじめて、イエスを受け入れてから、心なしか思いやりのある、あたたかい親切なという美徳が見えるようになりました。娘に教会に誘われてはじめて登戸エクレシアキリスト教会の門をくぐりました。教会で2000年前のイエスの十字架の物語は、人を愛する神様の、罪を赦してくださる愛情深い実話です。イエスの人に対する愛情をうれしく感じて深く感謝して、いつもイエスといっしょにいたいと希望するようになりました。今ではすっかり心の中で祈るようになりました。
「天に居られる僕らの父よ、御名があがめられますように。主イエス・キリストの名前で祈ります。アーメン」
恐怖によるわななきもなく、迷いもなくなり、心安らかに暮らしています。
 
あとがき
主イエスを見出してから、迷いもなく、自分以外の人々の元気とか喜びとかが豊かにめぐまれるように思って生活しています。イエスに接する人々に元気が溢れ、喜びが生じるよう行動を主イエスにゆだねます。
悪を赦すか赦さないかのパーセンテージも話す側のパーセンテージが、情欲実現の悪徳のすべてが消えてなくなりましたが、油断しているといつの間にか復活しているので、いつも僕の守護神イエスと、僕の主イエスを考えています。