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神の愛による和解 〜天国に父を見送って〜

毛利純子

 

本日は皆さま、父の前夜式にご参列くださいまして、ありがとうございます。
これから、私の知っている父の事、自分自身の心の変化などを、お分かちしたいと思います。

私は、実家の商売を昨年廃業するまでの約8年間手伝っていました。その中で、父と多くの時間を過ごしてきました。父ならではの人とのコミュニケーションのとり方や、心の話をしたり聞いたりするのが好きだったところ、また繊細な部分・・人格にふれ誠実で尊敬できる部分をみてきました。また、詳しいことはわかりませんが、時には、困難や何かに葛藤している様子も見ました。自分の育った環境や人生の話しもしてくれて、私は父のありのままの姿にふれる機会があり、家族を守ろうとする考えを知ったことも、娘として貴重で大切にしたい思い出です。

私は、自分の思い通りにならないとき何とかこの気持ちをわかってほしいと思うあまり、価値観を押し付けようとして、傷つけたり悲しませる言葉や態度をとってきました。聖書の神様と出会ってから、自分の不健全な言動に気づかされて、一歩一歩良くなり続けている過程を歩んでいます。仕事のやりかたや意見の衝突などで、父にぶつかることは数え切れないほどでしたが、父は私に真剣に向き合おうとしてくれました。沢山の会話をする中で互いの心の内を知りあい、私は自分の未熟さと問題点にもきづかされ、私にとっては本音のぶつかりあいが必要だったのかな、と感じています。

私は父に神さまの話をするのが大好きでした。『天地を造られた創造主である神さまはどれほど私たちのことを愛して下さっているのか。』 『神であるイエス・キリストが十字架にかかり、身代わりになって死なれ、三日目に復活された。それは、私たちを永遠の刑罰から救うためだった。』 神様の“希望”や“真理”について熱く語りました。父も色々な質問をしてきて、私たちは大いにディスカッションし、会話がはずみ、時には話題が脱線しイライラをぶつけてしまうこともありましたが、質の濃い親子体験ができたことを神様に感謝しています。

私が聞いた話は、父はイエス・キリストに興味を持つきっかけは、ミッションスクールに通っていた叔父(父の弟)がもっていた「聖書」だったそうです。あるとき「クリスマスが近づくと、弟はこんな歌を歌っていたんだ」と讃美歌の“諸人こぞりて”を聞かせてくれたり「学校の聖書の時間は、イエス様をほめていればいい点がもらえるんだ」と話していたことなど、思い出話を懐かしんで教えてくれました。 父は身体が弱かったようで、若い頃には入院生活を送り、その後は仕事に必死だった時代もあり、聖書を読んだり教会に行ったりすることは考えなかったそうですが“心の奥には、もし何かを信じるなら、それはキリスト”と思っていたことを、私は知り嬉しくなりました。

父は、イエス・キリストを信じて人生にお迎えし、すばらしいプレゼント「永遠のいのち」を受取りました。
そのことを皆の前で公にし、お祝いをするバプテスマ(洗礼式)が今月決まっていました。父は自分の人生に起こったことを話す機会を楽しみにしていました。もちろん、私もそうです。
洗礼式で話したいと父が言っていた事や私が感じた事などをいつか分かち合いたいと思います。

2002年5月26日
父は、母と教会主催の食事会に参加し、教会のある男性のお話しの中に「心の栄養が必要だ」という言葉に「ハッ、と気づかされた」そうです。(翌日「・・あの短い言葉で本当に楽な気持ちになった。心の栄養が必要・・昨日は良かった。感謝する。今朝の父さんの顔は、はればれとしているだろう!?」と嬉しそうに教えてくれたことを覚えています。)
 
その翌日2002年5月28日 (4年前)父は重症肺炎で緊急入院しました。
神様の助けで、主治医も驚くほどの、奇跡的な回復がありました。「生きるか死ぬか、自分の力では到底何もできないんだなぁ・・・。神が支配しているんだなぁ。」と退院前の病室のベッドで私たちに言っていたことが心に残っています。
 
2003年10月11日 13時
今から3年前、父から事務所にいた私に内線電話がありました。そのときのことは、とてもよく覚えています。
「今までイエス様に悪いことを沢山してきた。そのことを(イエス様に)謝りたい。一緒にお祈りして欲しい」と。「最近の私はお酒に逃げていた。毎日、何の変化もない生活から逃げるように。何の解決にもならないとわかっていてもお酒に頼っていた。昨日Sさん(後輩)から“今までの1年4ヶ月(重症肺炎で緊急入院したときから)誰が一緒にいてくれたんだ。誰が足をさすってくれたんだ!○○さんでもない○○でもない・・。母ちゃんじゃないか!と言われた」 Sさんは、止めようとした人を振り払い 「いや、俺はこのことを言いたいんだ!」とやめなかったそうです。
その時父は “これはイエス様が自分に言っている。素直に聞こう。本当に神様ごめんなさい。神様の気持ちがよくわかった・・。”
と心から思い 「退院してから1年4ヶ月。最近は足腰も大分良くなり、肩の痛みもなくなった。昔の仲間達とまた酒も飲みたいとおもって、辛いリハビリをかんばってきた。そしてお酒も飲めるようになり(身体も)ここまで回復した。このことは本当に神様に感謝している。ここまでずっと一緒にいてくれて、励ましてくれたイエス様。でも、妻に対して心では感謝していても、悲しませるようなことをしてきた。こんな罪深い自分・・。こんなに弱くて罪だらけの自分に昨夜はっきりと気がついた。」 といい、今朝、母に、今までのことを謝った、と、話してくれたのです。
また、ある友人から 「キリストを信じていていいなぁ」と言われた父は、その人に私が手紙か何かを送ったのだと思ったようですが「そんなこと私はしていないよ」と伝えると不思議そうにしていました。
そのような話をした後に、一緒にお祈りをしました。
イエス様が十字架の上で身代わりで死んでくださったので、今、告白した祈りも、過去の全ての過ちや罪もすべて赦されていること信じて、アーメン!といいました。

 翌2004年、父は腎臓が悪くなり約1ヶ月半入院をしました。退院後、皆さまに宛てた手紙を読みます。
『 ・・・・晩年になって病を通しての試練がありますが、これも主イエス・キリストの目的や意味があるのでは、と今回の入院を通して感じています。また私が神を信頼し委ねることを体験するための愛の訓練だったのではと思い、心から感謝しています。約1ヶ月半の入院生活も穏やかな心を保ち過ごすことができたのが不思議です。 少しずつゆっくりと日常生活に馴染んでゆければと思っています。機会があればまたお会いできたらと思います。そのときを楽しみにしています。 
最後に、私がこの入院で日々励まされた聖書のことばです。
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」 第1コリント 10章13節    皆さまとご家族の上に主イエス・キリストの祝福が豊かにありますように。 2004/10/18 』
入院時、この言葉が励みとなって、つらい検査にも耐えられたと話してくれました。
4年前、重症肺炎になって、その後、懸命のリハビリで一歩一歩回復していく中で「神が生かしてくれていたんだ」と口にするようになりました。そして、一昨年の腎臓の病気の入院中に、商売を辞めることを決心しました。「神は、この世で父さんにまだやることがあるから生かしてくださった。それが何だかわかったよ・・。」と 廃業の時期を自分で選べたこと、お世話になった方々にお知らせして、1つ1つの手続きを見届けて、母と過ごすことできたと語っていました。

昨年、私たちの教会の子供が天に召されて、父は葬儀にぜひとも行きたいと言い、一緒に参列しました。 「本当にいい式だった。家族の話があって、賛美歌をうたって、神に祈って・・。父さんもキリスト教の葬儀でやってほしい」 「天に召されるっていいことばだなぁ。死ぬことは、父さんは全然こわくないよ。イエス様のいる天国にいけるんだ」と穏やかで安らぎの表情で、私たち家族に何回と分かちあってくれました。

2006年9月28日
この日は私にとって特別な日でした。父と二人だけになる機会があり 「ごめんなさい」と謝りました。私はこの数年前まで、父に「おはよう」という挨拶さえしませんでした。「おはよう」といってみたら、だんだん慣れてきて、次は「ありがとう」を自然に心から言うようになりました。また少しずつ変化があり、今まで自分のしてきた父に対する悪い態度を「ごめんなさい」と正直にいったのです。謝ったあと本当にすっきりして、私はこんな簡単なことを何で今までしなかったんだろう、どうしてこの一言がいいだせなかったのか、と思いました。それほどまでに心が頑固でした。直接話せたこともタイミングも「神様のとき」だったと思います。

10月24日、父は出先で倒れ、救急車で運ばれました。連絡を受けた時は、とにかく病院に行って見ようという気持ちで、祈りつつ賛美をしながら運転し向かいました。状況を聞いて深刻な状態だとわかりました。そして、先週日曜の深夜の連絡で、母、主人と私、妹夫婦が駆けつけて、父の周りを囲み、ティム牧師クリスティーン牧師夫妻も来て下さり、その中で、今起きていることを本当に静かに、穏やかな心で受け入れながら、父が天に召されるときを体験しました。

この数年間の父は、死について度々 「死はこわくないよ。父さんは、天にいる父、神様のところに帰っていくんだから」といい、延命治療はしないでほしい、とオープンに母や私たち家族に分かち合ってくれていました。
神様のときに、父がこの地上での生涯を終え、その瞬間を見送ったとき、静寂の中で私は賛美歌をうたいながら安らぎを感じ、不思議な感覚でした。

11月2日 父がいなくなってから、ようやく遺影の写真をじっとみることができました。
今日までの間にも、様々なことが思い出されて、色々な方々の話を聴き、涙しながらも、、父はどんな風に誠実に人と接していたかを知りました。父の心にも誰にもいえない痛みや傷があったのかもしれない・・・。父の本当のお父さんである神様が、どんな風に人生をみちびいてくださっていたかと思いながら、慰められています。

「天に召されるっていいことばだなぁ。永遠の命をいただいて、イエス様のいる天国にいけるんだから」と、わかちあってくれた父。感謝の気持ちをいい表し、ときには自分が改めないといけないことを反省する姿もあり、心の中にいるイエス様を身近に感じていたんだと思います。私は、父の表情や言葉をとおして、神様が本当におられるんだ、ということを改めて実感しています。

父の手帳を見ると、毎日のささいなことが書かれていました。特にこの1年間は時間のゆとりができ、母との旅行や仲良く病院通いもありました。早朝の散歩が日課になり、友情を育み、回りの人のやさしさに感謝したり、様々なつながりで嬉しかったことなどが書き記されていました。大好きなカラオケや野球観戦を楽しみ、教会で知り合った神の家族とのふれあいや、季節の変化や自然の美しさを味わったり、その時々の流れの中で、充実した日々を送っていたんだなぁと、知りました。
本当に最近の父は、身体も元気ハツラツで、見るからに穏やかで、柔和な心が表情ににじみでていて、幸せの中にいることが感じられました。「父さんは純子に本当に感謝しているよ」と言ってくれたり、母にも直接、愛のことばや感謝の心を伝えていて、父の人生が出会いによって最高な形に変えられたことが、私は嬉しいです。

でも、父がこの場所からいなくなったことはとても寂しいです。もっと一緒にすごしたかったし、私の話を聞いてもらいたかった。父の話も声もたくさん聞きたかったし、うれしいことを一緒に喜んだり、悲しいときはともに泣き、心の変化や感動したことをわかちあいたかった。父を愛していること、愛されていることをもっと具体的に伝えたかったです。でも、父は天に召された。天国でまた会えるという約束を確信しているので、今は私もいくのが楽しみにもなりました。

病院に運ばれたときの父の衣服などを受取ったとき、財布の中には、しおりがはいっていました。聖書のことばです。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」 イザヤ43章4節  

私は、愛する人との心と心が通い合った思い出があることが、うれしいなあ、と感じています。1つ1つの出来事を通して、神様が私の人生に、そして父の人生にして下さったことを、今、このときに、正直に分かち合えたことを感謝しています。
心の話に耳を傾け、聴いていてくださって本当にありがとうございました。
母を支えながら、神様に与えられた一日一日、生かされている一瞬一瞬を正直に丁寧に生きてゆきたいと願っています。