神のご計画


会社の会議が終わったところで携帯のメールをチェックすると、細君から一通来ていた。「息子が自転車で転んで怪我をしました。手首に痛みがあるので病院に行って来ます。」

小学6年生の息子は水泳選手。折れていなければよいが、手首が痛いのでは水がかけない。今までの肩を使った泳ぎから、肩甲骨を大きく使って泳ぐことでクロールのフォーム改善に開眼したのは昨日。今まであまり得意でなかった種目もスピードがついてきて次の大会を楽しみにしていた時だったので、泳げなくなることが残念で仕方がない。ここの所同じスイミングクラブの2人が手を骨折して2ヵ月あまり泳げないのを見てきただけに余計心配になる。

今日は水泳のトレーニングが休みの日なので、一週間のうちで普通の小学生に戻れる唯一の日。開放されたように放課後友達2人と自転車で別の友達の家に遊びに行ったらしい。坂道を下りきって減速が出来ないままカーブを曲がった時に、強くブレーキをかけたタイヤが砂利に乗り上げて横滑り、そしてコントロールが効かないまま2回転。まずいことに7分丈のズボンから膝が出ていた。

うずくまって痛がっていた所に通りかかった隣のクラスの女の子のお母さんが助けてくれた。車で家に連れて帰ってくれて傷口を洗ってくれたらしい。ところが思った以上にひどい状態だったので細君に電話が入った。細君が迎えに行くと言ったが説明し辛い場所なので、と自転車も一緒に車に乗せて連れてきてくれた。普段なら砂利などない場所なのにということだった。

 そのまま近所の外科へ。負傷箇所は手首だけかと思っていたら、膝は裂傷、肘は擦り傷。レントゲンを撮った結果、手首の骨には以上なし、打撲だと言う。肘もひどい状態だが擦り傷ですんだ。ところが膝は2本裂けていた。傷口が汚れていたから麻酔を打って切開し、中に入った砂利を洗浄して取り出した後、片方を3針縫った。手術ということになってしまった。本人は途中からとんでもないことになったと気づいて血の気が引いていたという。

幸い頭や顔は大丈夫だった。心配して帰って見ると包帯だらけになっておとなしくしていた。11日後は選抜リレーのアンカーを務める小学生生活最後の運動会、その翌日は水泳の県大会。これらを前にして、痛みがなくなるまで走るのは禁止。膝の傷の抜糸が終わるまで水に浸かるのも禁止。抜糸までには約一週間かかるらしい。昨日から始まった運動会のリレーの朝練にも出られなくなった。

全く口から出す言葉がない。毎日毎日トレーニングをして積み上げてきたものがガラガラと音を立てて崩れて行くのを感じる。誰彼にともなく文句を言いたい。喪失感と虚脱感に襲われる。しかし本人はけろっとしている。何も気にしている様子はない。翌朝手首の湿布を変えて、痛み止めを飲ませて学校へ送り出す。一体主はこのことを通して何を我々に語ろうとされているのだろう、そのことを教えてくださいと祈る。

膝の痛みより、手首の打撲の方に痛みが残っているらしい。休養中は今まで時間がなくてなかなか出来なかったことをこの機会にやっておくように勧める。全く体を動かさないでいる訳にもいかないので、休みの日には少し長い距離を歩いてみる。親子3人で近所をずっと歩いたのだが、これはこれでとても楽しい時間だった。

事故当時は何も考えられなかったので、しばらくたって落ち着いて考えてみた。頭や顔に怪我をしていたらと思うとぞっとする。ましてそこに車がいたとしたら、大変な事故になるところだった。そうならなかったのは、主が守ってくれたに違いないと感謝できる。

一週間たって外科の先生にこれ以上泳がないわけにはいかないからと抜糸してもらう。本人はこれで泳げるようになるのでとても喜んでいた。初日はバイ菌が入るといけないので、防水絆創膏を貼って泳いでいたが、25m泳いだところですぐにとれてしまった。痛くて泳げないということはないようだ。少し安心する。

2日後、運動会は手首をテーピングとサポーターで守り、膝にはスケボーのプロテクターをつけて乗り切った。走るには問題なかった。しかし毎日毎日泳いでいたのが急に1週間あくと元に戻らない。一週間もの間全く泳がずにいたことは近年ない。毎日毎日泳いでいる意味はあるようだ。

一週間あいたものは一週間泳げば元に戻るかというとそうではないらしい。体力が戻らないので、思うように泳げない。焦りが出るばかりで、弱気になっている、気力も戻らない。泳法までおかしくなっている。それでも得意なクロールだけは負けたくないという意地があるらしく歯を食いしばって泳いでいた。怪我をしなかった子はどんどん記録が伸びている。1週間休んだのだから仕様がないかと口で言っていても心情的には納得のいかないものがある。1週間休んでしまえば近くまで来ていた目指すタイムははるかに遠ざかってしまう。実にもったいないことをした。

それでもこれにはきっと神様の計画と深い意味があったのだという思いは変わらない。今この瞬間には理解できなくても、長い目で見た時にきっとそこに主の御業を思わせるようなものがあるに違いない。常に恵を与えられるのは神様。主に信頼し主を頼みとする者に祝福を与えられるのも主。今回のことを通して偉大な神様の計画を知るのは楽しみである。

エレミヤ書 29:11
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

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