変わらないのは


新首相が誕生した。その方針の中に教育に関する 問題が大きな柱としてある。教育改革、教育基本法改正などだ。教育改革の目玉としては、大学の9月入学制をあげている。3月に高校を卒業してから9月まで の間に社会に貢献するような活動を義務化するそうだ。ボランティア活動が入学の条件になるという。

子どもたちを取り巻く教育環境は常に変化してい る。親としては度々の変化にとまどうばかり。今5年生の息子が入学した年から小学校は週休2日になった。かといってウイークデーの5日間も毎日6時間ずつ 授業があるわけではない。「ゆとり教育」の開始だった。これはいわゆる親の時代の「つめ込み教育」に対する新しい時代の改革案であったが、実際の支持層は 少なかった。

大きな変化は今まで信じていたものを疑わせるよ うになった。このまま公立に通わせていて大丈夫なのだろうかと、このゆとり教育は公立学校に不信感を抱かせるようになった。学力低下を心配するあまり、ゆ とり教育ではなく、独自の教育方針を打ち出す私立学校の人気が出てきた。私立を受験するために、首都圏では子ども達を学習塾に通わせる家庭が増えた。それ により逆に時間的なゆとりは減ったとも言われる。

息子の学校は今年から2学期制になった。何でそ うしなければならないのかの意味が分からない。夏休みに入る前に成績表が来ないので、休み中に弱点を克服することも出来ない。10月の体育の日までの週末 3日間の休みを挟んで学期が切り替わる。現場の先生に聞くと、「上に立つ人は何か改革をしないと自分の実績にならないからそうしただけではないか」、「現 場では何のメリットもない」と言う。「すぐに元に戻るでしょう」とも言っていた。

朝刊を読むと、「小学校での英語授業の必須化は不要である」と新文部科学大臣が就任後の演説で発言していた。今までの動きをひっくり返すようなものだ。先日学校で英語の授業があって、挨拶を習ってきたと嬉しそうに教えてくれた息子の顔が思い浮かぶ。

2007年度には教育の根幹である学習指導要領 が10年ぶりに全面改訂される予定だ。その基本的な考えの中に、「国語力の育成は全ての教育活動を通じて重視する」とある。「つめ込み」から「ゆとり」を 経て「言語力の育成」へ。今度は考え、表現する能力が問われてくる。誰も今までの方針が失敗であったとはっきり言わないが、新政策がそう言っている。

高校入試や大学入試も何度となく選考基準の改定が行われているので、どういう方式で合否が決まるのかよくそのシステムが分からない。親の時代とは全く変わってしまっている。不安な時代に頼る先は学校ではなく、塾だとする人が多い。学校の権威はどこへやら。

これらの変化による一番の被害者はこの渦中にあ る子どもたちである。少子化の今の時代にあって、教育こそしっかりした揺らぐことのない方針の下でしてもらいたい、というのがマサイの希望である。屋台骨 が迷ってぐらぐらしているような状態で、方向転換ばかり繰り返していては、子どもたちがかわいそうだし、親も不安でたまらない。将来この国を支える良い大 人に育たないということははっきりいえる。

こんな世の中にあっても、我々クリスチャンに は、いつの世でも、何があっても揺らぐことのない神様という大きな存在がある。疑うこともない、権威ある存在。周りがどんなに変わり続けようと、絶対に変 わらない素晴らしい方。この方に守られているからこそ、我々は安心していられる。この特権を感謝。

ヘブル人への手紙13:8
イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。

伝道者の書3:14
私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。


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