介護を始める


「介護」という事について、今までは他人事のように考えていた。福祉や老人医療の事についての新聞記事も斜め読みしていたくらい。自分たちが元気で、親も元気でいたので、実感がなかった。

以前教会の先輩女性が自分と旦那さん両方の両親 4人の面倒を看たという話を聞いた。素晴らしい献身だと話し合い、細君は私も何かあったら両方の両親の面倒は看ると言ってくれた。そういう年齢になったの か、回りが親の面倒を看るようになった話を聞くことが多くなって来た。マサイは一人っ子であるから、両親に何かあった場合は他に頼る兄弟もないので、覚悟 はしているつもりである。しかしまだ両方とも元気でいるので本当の覚悟ではないのかもしれない。

その「介護」が自分たちの問題になった。細君の両親が要介護の対象者となってしまった。急にという事ではなかったのだが、生活は一変した。

大正の終わりに生まれ、昭和と共に生きて来た義父は、このところ見るたびに小さくなっていくような印象だった。80才を越え、前立腺が…、耳が聞こえなくなった…、など何回か入退院を繰り返しているうちに、すっかり元気がなくなったように見える。

老夫婦が2人でマンションに住んでいるので、少し離れたところにいる義兄が時々見に行ってくれる。それに加えて教会の牧師さんはじめいろいろな人が気にかけてくれる。また市の方からも介護の専門家が来てくれて、手伝いやアドバイスをしてくれる。

いろいろ生活を変えて行かないとという矢先、細君から義父の意識が突然なくなったとう連絡が入る。幸いすぐに取り戻してくれた。入院した当時は表情も今までと全然違っていたようだが、夕方かけつけた時はその顔色を見て安心できるほどに回復していた。

義母が丈夫かというとそうではなく、普段の生活は義父が支えて来ていた。その支え手がいなくなったものだから動きがとれない。こちらも別の病院に入院してしまった。細君は2つの病院へ何度も通っていた。神奈川から実家の埼玉、病院の練馬と忙しく動き回っている。

その後義父は義母のいる病院に転院し、食欲も出 て病院内で少し元気になってくれた。そして幸い両方とも同時に退院できた。家の居間には電動式の介護ベッドが2台入り、家が病室と化す。一人が元気であっ てくれれば良いのだが、両方とも同時では大変だと細君は疲れて帰って来る。義兄も悲鳴を上げている。力もいるし、気も使うしで大変なようだ。

義兄も仕事をしながらなので、ずっと看ている訳にもいかない。細君も息子の学校はあるし、スイミングも毎日の練習、週ごとの大会がある。教会の役員でもあり、手のかかるマサイもいる。

疲れを蓄積させている細君をいろいろ気分転換に連れ出しているのだが、精神的にも肉体的にもこたえているようだ。介護は思っていたより大変だ。まず自分の時間がなくなる。親であっても素人が簡単にどうこう出来るものでもなく、専門家に頼らざるをえないことはたくさんある。

しかし介護も始まったばかり、介護については知らない事ばかりなので、いろいろ新しい事を学びながら、出来る限りの事はして行きたいと思う。

コロサイ人への手紙3:23
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。

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