思ったよりって?


新学期になって2週間で息子の担任が2人代わっ た。今は3人目。1.2年生の時は正規の教員ではなく代用教員だった。ベテランの代用教員で良く見ていてはくれたのだが、3年になってやっと代わったと 思ったら、また代用教員だった。今度は新卒。その間隣のクラスはずっと正規のベテラン先生が受け持っていた。代用教員が悪いというのではないが、出来れば 1年後の去就すら分からない人ではなく、担任はしていなくても6年間を通じて子どものことを見ていてくれる人が有難い。

4年になってやっと正教員のベテラン先生になっ た。授業に余裕が出たのが分かる。安心した。ここまでずっと女性担任だった。息子は出来れば男の先生に受け持ってもらいたいという希望があった。それが今 年度4月になってやっとベテラン男性教員のクラスになった。息子が入学した時からずっといる先生で、運動会の紅白リレーの練習でも見てもらっていたし、同 じクラス中には兄姉が担任してもらっていたいう子もいた。息子も喜んでいたし、学校から貰って来るプリントにはベテランの味が出ていて親も安心していた。

ところが今日は初めての教科書を使っての授業と いう日に先生が休んだという。朝髭を剃っていて、妙に感覚がないからおかしいと思って病院に行ったら脳から出血していた。即入院。3ヶ月は復帰できそうも ないという。そこで4月に来たばかりの男性教頭が臨時で担任になった。ベテランではあるが、この学校に来たばかりで子どもたちの事は何も知らない。着任早 々なのでやることが他にも山積みなのだろう、余裕もない。息子が授業中に今までのように鼻をかもうとゴミ箱のそばに行ったら、席でかめと怒られたと言う。 それでも授業参観後の懇談会で話を聞いてきた細君は、ベテランなりによくやってもらえそうだと言う。

担任が帰って来るまで私が受け持つので何でも 言って下さい、と教頭が言ったので安心していたら、3日後に新しい担任に交代という回章が来た。女性代用教員。しかも1年を通してではなく、元の担任が復 帰するまでの穴埋め的な派遣。今年から二学期制になるので、期の途中で担任が代わるという事は、成績をつける人間は半分見ていないでつけるという事。折り から新聞でも公立校への不信感をあおる記事と、代用教員の悲哀を書いたような記事が連載されている。親は不安になるばかり。

その不安は子どもにも伝わる。5年生といえば急に参考書がいるようになるほど教科書の内容も難しくなってくる。近くの私立は今年度から不定期ではあるが土曜日も授業を始めたと聞く。公立と私立の格差が懸念されている時でもあるし、不安は増大する。

そんな状況で月曜日から新担任の授業が始まった。帰ってきた息子にどうだったと聞くと、算数の時間に机間巡視を始めた先生が、息子のノートを見て「見かけによらずノートを綺麗にとるんだね」と言ったという。怒って帰ってきた。

口の聞き方を知らない若い先生なのかと思った ら、今まで高校や中学で教えたことがある経験のある先生なのだと言う。2日目に息子は理科の教科書とノートを家に忘れた。それを授業の前に先生に報告しに 言ったら「ボケ」と一言。忘れたのは息子が悪いのだが、言いようがあるのではないか思う。他の子も息子が「ボケ」と言われたことに動揺し、気をつけたほう がよい、ということを言い合ったらしい。

3日目。今度は社会の授業中、息子のノートをの ぞきこんで「思ったより綺麗な字書くんだ」と言ったという。今まで高校で教えていて友達感覚で話しているつもりなのか、これまでそいう話し方をされたこと がないので、息子がショックを受けている事を早い段階で先生に気づいてもらわないといけないと考えた。何よりそんな事を毎日言われて息子がやる気をなくな してしまってはどうしようもない。

連絡帳に書いて先生に読んでもらおうと考えたのだが、怒りに任せてこの件をついて書くのは良くない。まず祈ろうと集まる。先生がこの事を分かってくれるように、新しい先生が息子の良いところを伸ばしてくれる先生であるようにと3人で祈る。

それから連絡帳に綿々とこの3日間にあったこと と、子どもがどう思ったか、そして親としてどう考えたかを書き連ねる。学校の教育方針に関しては文句を言うつもりはないという事、子育てに関しては親も真 剣であるという事、そしてどういうつもりで「見かけによらず」「思ったより」という言葉を使っているのかという事。学校へ電話をしたり、直接行ったりして も良かったのだが、感情的になっては良い話し合いが出来ないと思い、文章で書いた。

先生にこういう風に書くのは余程の事がないとな いし、書いて気持ちが良い訳ではない。読み返してみていろいろ考える。書いた事に対して先生は理解を示してくれるのか、逆に息子に辛く当たるようになるの ではないか、など。まだ顔も知らない人間に書いているわけだし、こんなことくらいでいちいち目くじらを立てるのはおかしいと思われるのではないか、そんな ことまで親に言いつけてと息子がいじめられるのではないか、こんなささいなことでと逆に開き直るかもしれない。

不安は増大して行く。しかも5月にある運動会の 紅白リレーの選手選考直前という大切な時期だった。息子は50m走を学年で一番速く走る。運動会の最後に行う紅白リレーは、各学年から男女4人ずつが選ば れ、1年生から6年生までバトンをつなぐ花形競技である。4年生まではグラウンド半周だが、5年生の今年からグラウンドを1周する。息子はこれに出るのを 何より楽しみにしている。しかしこの事で先生が気を悪くして選手に選ばれなかったら、息子が可哀想だ。連絡帳に書いたはよいが、提出をリレーの選手が決 まってかたらにしようかなどといろいろ思い迷った。

結局先生に気づいてもらう方が先と連絡帳を翌日持って行かせたのだが、今度は息子が帰って来るまで落ちつかない。先生がどう回答してくるのか、返答によっては電話でもするか、学校へ行くことになるのか。気になる事なので、悪い方向へ悪い方向へと考えてしまう。

詩篇55:22
あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。

授業は5時間だから14時半頃には帰って来るは ずだ。しかし15時半まで待っても細君から連絡が来ないので、家に電話を入れる。幸い先生はこちらの言ったことを分かってくれた。息子の字があまりに上手 で今後素晴らしい勢いで字が上手になりそうな素質を持っているので誉め言葉として使ったつもりなのだが、不適切な表現であったと詫びていた。息子にも中休 みに詫びたと言う。

電話口でそれを聞いてほっとした。一日随分緊張していたものだ。実は昨晩も気になって眠れなかった。神経が一気に緩むのを感じる。

翌日息子は元気に学校へ行った。そして週明けの今日、これを打っているところへ息子が帰ってきた。紅白リレーの選手に選ばれたと言う。嬉しそうにしていた。イエス様感謝します。晴れの舞台は5月20日。

詩篇33:20、21
私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。
まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。

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