捨てても良いよね


年末にずっと前から気になっていたところを片付 け始めた。どんどんいらないものが山になる。いらなければ常日頃からどんどん捨てて行けばよいものを、後で見返すこともあるだろうととりあえず取って置 く。これがいつのまにかたまってくる。広い倉庫がある家に住んでいるわけではないので、捨てないとどんどん居住スペースが狭くなってくる。

片付けているとこんなところにあったのか、と驚 く事もある。反対に何でこれを取っておいたのだっけ、と首をかしげるものもある。しかしいずれもしまっていた事すら忘れていたのだからもう用はない。きつ くなっていた引出しはすっきりとし、本棚もギシギシだったのがスカスカになった。

あちこち連鎖反応で気づいたところに手をつけて 行く。取って置くものにも必要度ランクが出来てくる。さしあたって必要はないが捨てないでおきたい、というものも山になってきた。しかしいつでも引き出せ る場所から、保存するような場所に移すと、もう二度と目にする事はない。次の大清掃の時に捨てる対象になる。

我が母親は何でもスクラップにしている。それがもう100冊近くなったと喜んでいた。どこに何があるかちゃんと目次をつけてあるとはいえ、見直す事はあるのだろうか。しかし取って置くにしても一応は整理がついているらしい。

捨て出すとどんどん捨てたくなる。捨てればすっ きりする。翌日は息子も、細君も始めた。息子は自分の部屋から昔夢中になって集めていたカード類や玩具を放出している。部屋がすっきりしたと満足げである が、かえって細君が小さい頃に息子が抱いていたぬいぐるみを捨てきれずにゴミから拾ってきている。

そんな時に細君が東京オリンピック当時の100 円玉や磁石にくっつく旧50円玉、穴の開いていない5円玉を何枚か出してきた。マサイも板垣退助の100円札と岩倉具視の500円札は折り目のついていな いピン札を1枚ずつ取ってあるが、さすがにこのコインのコレクションには驚いた。

捨てなければよかったと後悔した事はない。なけ ればないですんでしまうものばかり。本当に重要なものはそんなにない。正月に実家に帰って探し物をしていたら、押入れに大切にしまいこんでいたものがいら ないものばかりなのに気付いて驚いた。全部まとめて捨ててしまっても良いようなもの。考えに考えて絶対に読まないだろうなと思いながらも買った本が綺麗な まま本棚に並んでいた。まあこれは今では手に入らない本だから良いかと眺めていた。

時代時代で価値観が変わってくるのだろうか。その当時は大切であった物が、時代を経るとそうではなくなる。時代も変わっているが自分がそれ以上に変わっているのかもしれない。過去を引き出して見るより、これから先に広がる未来に新しい価値を探す方が心がワクワクする。

捨て始めると買うことについてもよく考えるよう になる。捨ててしまうのであれば最初から買わなければ良いということ。本当に必要なものだけを手にすればよいわけで、そうでないとお金も資源も無駄にする ことになる。よく「無人島に行くとして、一つだけ持って行って良いということになったら、何を持っていく?」という質問があるが、これに対する答え以外は なくても良いものということか。

今までに無駄にした物を過去に戻って買わずにいられたら、ずいぶんお金がたまっていたろうなと、正月早々勝手な事を考えていた。

ルカの福音書10:42
しかし、どうしても必要なことはわずかです。

マラキ書3:6
主であるわたしは変わることがない。

ヘブル人への手紙13:8
イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。

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