息子に聖書を贈る


10才になった息子が自分用の聖書が欲しいと言 う。今まで教会学校でもらったペーパーバックの新約聖書を使っていたのだが、旧約もないと不便だという事らしい。新約をもらった時に、自分の感じたところ に好きなようにどんどん線を引いて使うようにと言われてきたので、ラインマーカーでいろいろ線を引きながら使っていた。

子どもに買ってくれと言われて嬉しいものはそう ないが、これは素直に嬉しい。自発的な発言だったので、細君と喜ぶ。早速新宿のクリスチャンブックストアに出かけて、これから一生使えるように、と新改訳 中型聖書改定第3版とそれを入れる聖書カバーを買って来る。両親からのプレゼントであるが、重要な財産分与をしたような満足した気持でいっぱいになる。

プレゼント包装にしてもらったものを帰って見せ ると、自分専用のものを手に嬉しそうにしている。小型の方が持ち運びには軽いのだが、字も大きいし、いろいろ書きこんで使えるようにと中型の方を選んだ。 マサイは大きなチェーン式を使っているのだが、これより本文の字は大きい。

マサイのいろいろ書きこんだ聖書を見せながら、 自分で好きなように使って良いと話す。まずは毎日読み上げている日めくりの聖句がある場所を一緒に見てやりたいと思う。息子は早速自分の好きな聖句であ る、ヨハネの福音書3章16節を短冊型に切った色紙に書いて、開けた穴に毛糸を通してシオリを作っていた。

息子に聖書を送るのは実は初めてではない。「こどもバイブル」という絵のついたものを生まれた翌月に買って小さい頃は読み聞かせていた。大学の文藝部仲間も最初に子供が生まれた時に聖書を贈った事を書いていたが、本人もその行為に感動していた。

親が子どもに聖書を送るというのは重要な儀式のように思える。神様の言葉を送り、ここから先は神様と歩いて行きなさいと自立を促すような気分。まして息子に押し付けるのではなく、息子が望んでのことであるというのは嬉しい。

マサイが自分用の聖書を初めて手にしたのは15 才の時。授業で使うからと教科書と同様の扱いで、共同訳聖書と賛美歌集を買った。その後通読をする為に新共同訳を買ったのが30の時。今使っている新改訳 は31の時である。もう14年使っているのだが、これを買う時も実に神聖な気持だったのを思い出す。これからずっと使っていくものであるという事、ここか ら多くの物を得るであろうという期待、書店で買ってはいるのだが、神様にもらったものという思いがあった。

今は毎朝食前の日課として、マサイが日めくりの聖句を読み上げ、それに次いで息子が「365日のみことばメッセージ」というのを日付に合わせて読んでいる。聖句とそれに続く文章を読んでからお祈りとなるのだが、こうやって聖句が自然に内に蓄えられているようだ。

息子が聖書を開きながら、「あの50人がいれば 滅ぼさないっていうのはどこだっけ?」という。親の記憶もあいまいなもので、預言者の書だったっけ?アブラハムかモーセだと思うんだけど…、と答える。神 様とのやり取りは覚えているのだが、箇所はすぐに出て来ない。やっと探し当てて、そう、そうだった、という事になる。そのうち教えてもらうようになりそう だ。

申命記3:14
まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なうことができる。

ヨブ記2:22
神の御口からおしえを受け、そのみことばを心にとどめよ。

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