子離れできない


日曜日は礼拝の後、小学4年生の息子と軟球ボー ルでキャッチボールをしている。目の前の小学校でやっているのだが、もうボールを加減して投げる必要もなく、思いきり投げている。返って来る球も速い。最 近こうやって遊んでいるのがとても楽しい。小さい頃は「子育て」という意識が抜けず、いつになったら楽になるのだろうと思っていたが、今は友達感覚で遊ん でいる

息子は5月にスイミングクラブの選手になって以 来、火曜日以外は毎日体育会系のようなトレーニングに通っている。それで疲れてしまって他に何も手が付かないかというと、そういう事はなく、勉強もパパが 課した学年×30分という時間机に向かい、各種ドリルを欠かさずにやっている。本も良く読む。選手になってから却って集中力が増したのは、親も驚くほど だ。そのせいか一学期の成績も良かった。成績表にある先生の総合所見は「正義感にあふれ、強いリーダーシップを発揮しています。言いたいことははっきり言 い、潔く引くことも出来ます…」。

歩く時はいつも手をつないでくれる。パパがママ と手をつないでいると必ず間に割って入って来る。パパは僕のものだといわんばかりに占領する。朝自分の部屋から起きてくると、パパの蒲団の上でころころし ている。決してママのでではなく、パパの蒲団の上にいる。パパのパジャマを抱きかかえて伸びをして、しばらく至福の時を過ごしている。

一人っ子の割には新しいものにこだわらない。パパやママのお下がりがお気に入りで、パパのお古を特に気に入って着ている(パパの大き目のTシャツがパジャマになる)。

マサイは早生まれだったせいか、小学校3年までの記憶があまりない。物心がつくのが遅かったのかもしれない。今の息子と同じ小学4年生の時にあった事を思い出してみる。

始めてプールで25m泳げた。クラス委員選に立 候補し、副委員長だか書記だかになった。カブスカウトに入っていて、キャンプやハイキングに行った。この年の担任は女性教師だったが、あまり良い関係にな かったので成績表には良い事が書かれたためしがない。クラスでは銀行委員だった。

ソフトボールを友達同志や地区子ども会でやって いた。父親の左利きの血が半分混じっているので、バットを持つ時は普通に持つと左打者の握りになる(左手が上に来る)それで右バッターボックスに立つもの だから、皆によく打てるものだと不思議がられた。運動会の50m徒競走で初めて1位になった。早生まれ(3月31日生まれ)のハンデが段々なくなって来た ようだ。

自転車は持っていなかったので、まだ乗れなかっ た。親と一緒には一泊の旅行もしたことがない。社会は好きだったが、国語は苦手だった。社会科年鑑を見るのが好きだった。本は読まない。将来は何になりた いと思っていただろう。思い出せない。この頃の塾といえば算盤か習字かお絵かきだが、どれにも行っていない。マンガ週刊誌の発売日には、毎週本屋の店頭で 全部立ち読みしていた。

こう考えてみると、鳶が鷹を産むような物。息子 は細君の優秀なところをうまく受け継いでくれたようだ。息子は小さい頃から大きい方なので、大きさに合わせていろいろな要求をしていた。自分がプラス2学 年上の頃にしていたようなことを息子に要求し、息子はそれに答えようとする。まだ○○年生だから無理よ、とよく細君に言われた。

ふと考えた。あと何年こうやって一緒に楽しく遊 んでいられるだろう。今小学4年生。昔息子が幼稚園の頃一緒に遊んでやっていた近所の子ども達は中学生になっている。その子達の親に聞いてみると、もう一 緒に出かけてはくれないという。マサイは子どもの頃は何気なく親と歩いていたが、仲間達で行動する連中にまだ親に連れられていることをはやしたてられて一 緒に歩かなくなった。

一緒に遊べるのもあと2年半だと細君は言う。中学生になるまでか。毎夏の楽しみである一緒に旅行できるのはあとどれくらいか。数えてみるとあとほんのわずかな期間でしかない。

高校に入ったらアメリカにでも留学するか、と ずっと言っていたが、それはあと5年もしたら別れ別れになるという事。今までは深く考えもしなかったが、それに気付いてとても寂しい思いをしている。こん な良い奴と一緒にいられなくなったり、遊べなくなるのは考えられない。だから最近は出来るだけ一緒に過ごす時間を長く持つようにしている。その時間の大切 さがやっと分かった。

子離れしなくなりそうだ。細君は息子が娘でなくて本当に良かったと思っている。

1サムエル2:26
一方、少年サムエルはますます成長し、主にも、人にも愛された。

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