サーフィン伝道


妻が3日間「2005健康な教会セミナー」へ参 加した。そこで人間は波を作れない。作れるのは神様だけ。その神様の作った波に乗る。という話を聞いてきた。最終日は証しを頼まれて皆の前で喋ったのだ が、そこでそのことにも触れて、自分のホームポイントは鵠沼であると、普段サーフィンを楽しんでいることを話してきたらしい。終わった後いろいろな人に声 をかけられたようだが、その中に娘婿を何とか教会に行くように進めてもらえないかという人がいた。娘婿さんは鵠沼海岸のデニーズ近くにあるサーフショップ の店長をしているらしい。そこで鵠沼で波に乗っているクリスチャン・サーファーを探していたと言う。

今年の教会の活動目標に、湘南で活動しているク リスチャン・サーファー達と協力してサーファーを教会へ導く運動が出来たら、と書いて教会に提出したばかり。その矢先に入った話。我々が一年を通してこの 海でサーフィンをやってきた意味がそこにあったのかと思うと、神様の計画のすごさを驚くとともに、その活動を保証されたという喜びがわいてくる。

伝道者の書3:11
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

サーファーにとって波は正に神様の恵み。恵みは 人間が作り出したり、呼べるものではなく、一方的に与えられる。神様が風、潮、地形様々な要素をブレンドして絶好の波にして与えてくれる。波は海のかなた からやって来る。サーファーはそれを信じて待っている。そしてそれがいつ来ても受けられるように、準備をしている。だから常に目を開いて待っていないとい けない。余所見をしていると、いつのまにか近くまで来ていて、最高の波を逃して悔しい思いをする。

波は来る。必ず来る。来る時はいくつか続けて来る。大きな波の時も小さなものの時もある。時に潮止まりで全くなくなるが、待っていればそれは絶対に来る。皆そう信じて待っている。信じて待っているものは必ずそれを受けることが出来る。

波が近づいてくる。わくわくする瞬間。タイミングを合わせて立ち上がると、波にボードごと運ばれて行く。恵みの波と一体になって進んでいく心地良さは感動的なもの。自分が進んでいると勘違いしそうだが、実は波が運んで行ってくれるのである。

その受け方を間違えると、ぐしゃぐしゃにされる 場合もある。己を過信した場合。波の素晴らしさ、大きさを良く見ていなかったり、自分の力だけに頼ったりした場合そうなる。そんな時は上から降ってくる自 分の過ちによって飛ばしたボードから身を守る。体をかがめて頭を両手で抱えないととても危険。

また自分から波に乗りたいと熱望しても、自分の 事しか考えず、波の方を見ないで一生懸命手足を動かしているだけではそれが空回りする。良い波だと勝手に思い込んでがむしゃらに立ち向かっても疲れるだ け。一旦は高いところまで引き上げられても、波はボードの下を通り過ぎて、またもとの低い位置に戻される。

よく見極めて、自分の所へ真っ直ぐやってくる波 を受けないといけない。人への波を途中から横取りすると、怒られる場合もある。時には怪我もする。神様の恵みにはしっかりと気付いていないといけない。海 では自然をリスペクトし、サーファー同士お互いをリスペクトすることを学べる。波取りは壮絶なものだが、へりくだって、互いを尊い存在として認めている。

そんな楽しい恵みにあふれる海でも、神様から海 に入るなと言われる場合がある。いつも海に入る前は祈る「我々にとって適度な波と空いた状況でサーフィンが楽しめますように」。適度な波を越えた場合は無 理をせずに海に入らない。自然の中に込められている神様の言葉には素直に従う。

自分のボードは大切に扱う。神様の恵みを受ける為のボード。これがないと神様の恵みと一体になれない。マサイのボードには表にイエス様の名前JESUS、信仰FAITH、裏には十字架のステッカーが貼ってある。

ボードと自分をつなぐリーシュコード。これにも見分けがつくように御言葉のシールが貼ってある。イエス様と自分をつなぐ大切な御言葉。御言葉とイエス様を介して神様の恵みを受け取る。なんと素晴らしい。

サーフィンはハードなスポーツであるが、神様の存在を確実に身近に感じられる素晴らしいスポーツでもある。神様と一体になれることを実感するスポーツはほかにもあるだろうが、自分はサーフィンで特にそれを感じ、妻と一緒に、夏は子どもも混ぜて一年中楽しんでいる。

波のように神様からの恵みは常に打ち寄せている。しかし神様はそれを強いることはしない。そこへ人を導くのが我々の役目。この活動を祝福して導いてください。

詩篇94:4〜7
地の深みは主の御手のうちにあり、山々の頂も主のものである。
海は主のもの。主がそれを造られた。陸地も主の御手が造られた。
来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。
主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。

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