勇気


小学二年生の息子は、帰宅後に今日学校であった事を話してくれる。3学期が始まって2日目。突然先生がクラスの皆を引率して近所の神社へ行ったという。2時間目から中休みも使って行ったらしい。

「神社に行くと何をするか、行く前から分かって いたから、本当は行きたくなかった。鈴鳴らして…。でも、ぼく、お祈りしなかったよ。勇気がいたんだ。でも、イエス様を思い出したから…。聖書にあるで しょ!人の手で作ったものを拝んではいけない、まことの神様を拝みなさいって。」

大きな鈴は太い綱を左右に揺するとガランガラン 大きな音を立てるので、一度鳴らしてみたくて、それだけはやってきたという。息子の勇気ある行動を誉めて、しっかりと抱きしめる。同じクラスに近くの教会 の教会学校へ通っている子がいるのだが、その子が拝んでいるのを見てショックだったという。その子の家の玄関に正月飾りがあったのも納得出来ないでいたら しい。

先生が矢を撃ってそれがかろうじて当たった、鈴を鳴らした、皆で拝んだり、正月飾りを燃やしているのを見て来た、先生は「お金がたくさん集まりますように」と大きな声で祈っていた、と報告は続く。

社会勉強として、日本の文化を見て来たというこ とか。その割にはその射った矢の説明や、神社については何の話しもなかったという。何とも中途半端は校外授業だ。先生にお参りする事を強制されたのならま た連絡帳に抗議文を書くか、先生を尋ねていかないとと思ったが、それもなかったらしい。

息子は何年か前の正月に伯父ちゃん一家に鎌倉の 神社に連れて行ってもらったことがある。線香臭くなって帰ってきたが、自分が何をしているのかまだ分からない頃だった。お金を洗ってきた(銭洗い弁天へ 行ったらしい)と喜んでいた。2度目の今度は家でも教会学校でもイエス様の事、聖書の事を教わって分かってきているので、皆が手を合わせていても、自分は いけないと思ったらしい。勇気を持ってやってこなかったという。皆がやっていることをやらないでいる事に勇気がいたらしい。皆が神社での参拝を当たり前の 事としてやっているのだからなおの事。人に何か言われる事より、イエス様に従った息子を誉めてあげる。

総合学習の一環として連れて行かれたのか。後で 聞いてみると、担任の先生が行った事がなくて一度行ってみたかったのだという。2年生のもうひとつのクラスは先生が一度行った事があって、面白くなかった ので今年は行かなかったという。その程度の気軽な事らしい。文化習慣という風にその意味など別にして捕らえているのだろうか。真剣に考えることなく、日本 人なら当たり前程度の認識で子供を教えられたのではかなわない。子供の方が余程真剣に物事を考えている。そんな日本に於いて、子供のうちから自分の中に しっかりした芯が形成されている事を嬉しく思う。

イザヤ41:10
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

使徒の働き23:11
その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」と言われた。


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