子供たちよ


20日土曜日、息子義哉の通う小学校は授業参観 日。3時間目のコンピューターの授業と4時間目の国語の授業を参観する。昨日までの暑さは秋雨前線の影響で和らいだが、かえって雨で気温が下がり肌寒さを 感じるほど。今まで毎日タンクトップを着ていた息子はTシャツで出かけて行った。週日となんら変わりのない朝。

マサイは仕事で出られなかったので、妻が時間に 出かけて行った。そこで訃報をもらった。息子は2年2組なのだが、隣のクラス、1組の児童の母親が今朝亡くなったという。40歳くらいで、小学4年生と2 年生の他に生まれたばかりの2ヶ月の子供がいる。今年広報委員の妻は、昨年川崎市の広報紙コンクールで賞を取ったというメンバーからその職を引き継いだ が、その広報委員長だった人。つい最近も近所のスーパーで小さな子を抱えて、「お母さんは手がふさがってるんだから、手伝ってくれなきゃ困るのよ」と言っ ているところに出会ったという。入退院していたわけではなく、活発で元気そうで、PTA活動でも活躍していたということだった。

夜連絡網で葬式の日程が流れてくる。2年1組の 担任の先生からは、「弔意を表して欲しい」という伝言。「子どもたちを連れて行くのも良いでしょう」ということだった。このニュースを聞いた妻はさすがに 元気がない。同じような年で、近所で見知った人の訃報は悲しい。自宅で倒れているのを発見したのは帰って来た4年生の子供だという。近所に助けを求めに 行ったが間に合わず。いつも言われることだが、倒れた時すぐ近くに誰かいて蘇生術を施してやれば何とかなったらしいのだが、悔いてもどうしようもない。朝 元気だった母親が数日後には灰になっている、という事実をどう子供たちは受け止められるのだろう。

通夜は翌日の日曜日、雨。台風15号が近づいてきている。同じ教会の母子(こちらは子供が4年生と2年生で、亡くなった母親と会う機会も多かった)を一緒に車に乗せていく。雨が降っていたが、葬儀会館には子供達も大勢来ていた。

息子は葬式に出るのは2回目。幼稚園の園長先生が亡くなった時に一度葬式に出ているが、覚えていないらしい。そこで通夜に出かける前に妻が息子にいろいろ説明して聞かせる。

葬式に行くとお坊さんがお経を上げていること。 焼香というものがあって、他の皆は死んだ人にお祈りをしていること。皆はそれをやっているけれど、それはしないということ。その代わりにママと義哉くん は、残されたお父さんや子供たちを神様が慰めて下さるように、残された人たちの為にお祈りをしましょう。

葬儀会館では教会学校でもらった自分の聖書(新改訳)を持ってママと一緒にお祈りをすることにした。実際は焼香台の前で詩篇23:1を読んで、小さな声でママと二人でお友達の為にお祈りをした。

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。(詩篇23:1)

戻って来たのを迎えて帰る車の中でいろ いろ聞いてみる。残された2年生の友達の方はまだ状況が理解できないでいるのか、呆然とした感じがしたという。子供たちに聞いてみると、お坊さんは何を 言っているか意味が分らなかったという。牧師のメッセージや祈りのように分る言葉で言っていないので当然の事か。聖書を持っている息子に「マンガなんか読 んでる暇ないよ」と声をかけてきた同級生の母親が、息子が持っているのはマンガではなく聖書だということが分って「えっ、すっごぉい」と驚いていたとい う。教会学校に行っている3人がそろって弔問をするというのも良い証しになったようだ。

月曜日の朝食時に残されたお父さんと子供達の為 に祈る。いつもは3人で両手をつないでパパが祈って、いただきまぁすということになるのだが、パパが祈った後、つかんだ両手にぐっと力を入れて引き止める ようにして息子が祈り始める。残された家族のために祈っている。誉めてあげると、昨日の教会学校でお祈りを自分の口を通してもするようにと教えてもらった という。良い習慣がつきそうだ。

愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。(轡茱魯唯院В押

私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。(轡茱魯唯院В粥


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