父が喜ぶ


父親の古希の祝いをした。還暦は実家で親戚も呼んで、赤いちゃんちゃんこを着せて祝ったが、家でやると準備が大変なので、銀座で鳥料理の店を予約した。

 父親もいつの間にか70歳になる。マサイは一人っ子なので、祝う為に集まったのは、我が家3人と父母の5 人。父親を招待したというのは今までにない。気恥ずかしいような思いもある。店の選択、予約は妻がやってくれた。良い店で、鴨の串焼きなどは本当に美味し く、喜んでもらえた。

 父は定年後仕事を続けていたが、雑誌の連載も終わり、今年度からまったく仕事をしなくなった。今は毎日時間を決めて歩いて汗をかいているという。仕事をしなくなると健康に気を使うようになるらしい。運動用の吸汗に優れたシャツをプレゼントする。

 ずいぶん長い間一緒住んでいたのに、父と2人で親しく出かけたということはない。昔、息子が大きくなったら、一緒に飲みに行くのが夢、と聞いたことがあるが、あいにくマサイは下戸。そういう機会はなかった。

 新聞記者という仕事柄忙しかったのかもしれない。泊りがけで一緒に出かけたのは小学校の夏休みに2度。箱根 と伊東、いずれも一泊。小田原に住んでいたので、すぐ近くだ。小学校の頃本当にたまに海岸へ行ってキャッチボールをしてくれたが、ゆっくりとした球を投げ てくれないので、グローブ越しとはいえ、キャッチすると手が痛かった。

 父は家でよく原稿を書いていた。趣味を持たないので、何かを夢中になってやっている姿は見たことがない。あ えて趣味といえばテレビ。実家のテレビのリモコンはボタンの字がはげて分からなくなっている。常に朝起きてから寝るまでテレビがついていたので、家族で一 緒にいても話し合うということがない。一緒にテレビを見て笑い、テレビを見ながら食事をし、食後はごろんとしてテレビを見る。ためになる番組を見ていると いうのでは決してない。

 その反動で、マサイは今極力テレビを見ない。食事の時は、今日あったことを息子や妻から聞く。息子にはその時どう思ったかを、自分の言葉で言うように話している。家族とはゆっくり話す時間をとにかく大事にしている。

 マサイの両親はいまだノンクリスチャン。父とは親しく語り合う親子関係ではなかったので、伝道をするとなる と難しい。洗礼の時は、母親経由で証しの原稿をそのまま渡して、読んでおいてくれと言っただけ。話し合いも何もない。当日も玄関にいた父に「洗礼式に行っ てきます」といった程度。証しを読んでも何も言わないし、言っても無駄だと思っていたのかもしれない。

 相談したという記憶は一度だけ。前の会社を辞めようと迷っていた時。辞表を書いた後、最後の最後に電話で相談したが、アドバイスは期待と違っていた。会社の行く末より、我が身の事を心配して欲しかったが、そうではなかった。

 母によると、我が父は一度も給料袋の封を切って持ち帰ってことがないという。必ずもらったそのままの状態で 母に渡していたようだ。嬉しそうに自分の何かを買った、という姿も記憶にない。マサイはもう給料が振込みなので、給料袋をそのまま渡すという事はない。し かも明細すら見せた事はない。振り込まれた給料から決まったお小遣いと家賃と献金を引いた額を妻に渡している。その時も手持ちで使う現金以外は彼女の口座 に振り替えておく。賞与もしかり。息子が結婚した暁には、「私はパパがいくらお給料もらっていたか知らないのよ」と嫁に言うのだろうか。

 男は会社での顔と、家での顔が違う場合がある。しかし父親以外の顔は分からないから、理解できない部分があった。でも仲がよい父子というのはうらやましい。我が子とはそういう関係になりたいと思う。

 親に喜んでもらいたい、誉めてもらいたいというのは、どこの子供でも持っている気持ちだが、父親は何でも持っている人で、子供の頃誕生日に何かをプレゼントしても、さして喜んでもらえない。喜んでもらった記憶は、定年の1ヶ月前に結婚式を挙げたこと。

 今回のお祝いは素直に喜んでくれた。こちらもほっとした嬉しさがある。父への一番の祝いは「物じゃなくて、 息子が幸せにやっているという事なのよ」と妻が言う。それが一番なのだろうか。自分に置き換えて、今我が息子に何をしてもらうのが一番嬉しいかと考える。 元気でいてくれるだけでいい。

 そういうことなのか。我々にとっても喜ぶ父の姿を見るのはとても嬉しい。天の父も同じ事を喜んでくれる。天の父に喜んでもらえるのは最上の喜び。

ルカの福音書3章22節

また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」

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