赦されている


入社式の季節。電車の中でも初々しい紺のスーツ姿が目立つ。しかし今は古き良きサラリーマンの終身雇用伝説は崩れ去り、毎年楽しみのベースアップや定期昇 給すら確実なものではない。ボーナスも期待できない。先行き不透明。遠くに光明すらも見出せない。今いるサラリーマンは足元をいつすくわれるかを心配しな がらこの先やっていかなければならないし、これから入る人たちにとっては希望を持ちにくい世の中だろう。

マサイが入社した頃は、信託銀行の5年ものの定期預金の利率が8.9%、証券会社が売り出す10年もので10%という商品があった。今では考えられない世の中だ。給与は毎年上がった。仕事からあぶれるかもしれない、という不安などなかった。

暗い話題で申し訳ないが、今労働組合の執行部も兼任していて、そんな話ばかりなので、行く末考えるところが多い。新入社の人たちを励ます文章にしようと思って書き始めたのだが、不安を与えるような出だしになってしまった。

そんな時思い浮かぶのがこの聖句。クリスチャンはこんなにしっかりとした確信をもらっているので心強い。

あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。(箴言16章3節)

働き始めた頃はクリスチャンではなかったので、突っ張っていた。仕事を覚え始めたばかりだというのに、仕事に関しては誰にも文句を言わせない、という自 信を持って働いていた。年上の人たちの仕事をもどかしく思ったものだ。その実、常に誰かに助けられ、許されたりしていることには気付かなかった。人に任せ て、何かあったら人に落ち度を押し付けるのではなく、全部自分でやれと言われていたので、その通りにした。取引先と会社間を走ったし、相談する相手などな く、何でも自分で良く考えて、実行もした。自負心ばかりがついていったが、これが大きくなると、回りを批判し、常に責めるようになる。

当時は卒業後希望通りの職に就けなくて、たまたま受けたら合格してしまった会社だから、という意識が消えなかった。だから不満ばかりある。自分はこんな 事をしている者ではない、と常に辞める機会をうかがっていた。結局3年半して辞めたのだが、別にこれと言ってやりたい事があったわけでもない。ただ不満か ら解放されたかっただけ。自分のプライドと仕事が折り合わなかった。こんなことをこの先何年もやっていくのか、という不満。同じ部署の年上の人も皆同じ仕 事をしていた。このまま行くと、20年後には自分はどうなっているのだろうか、という不安もあった。

会社を移って、又一から仕事を覚え直した。不満からは解放され、5年後にはイエス様を受け入れた。仕事も主に祈り、ゆだねるようになった。

入社後16年経ったが、今年に入って特に自分が如何に人から許されているかを強く感じる。「余計赦してもらった方が、余計に愛するようになる」というル カの箇所を読んでから、ほんの小さな事でもそう感じるようになった。会社だけではなく、社会の中全ての所で、許され、助けてもらっている。目からうろこが 落ちた状態だ。

自分が許されている、と感じると他の人も許してあげようという気持ちになってくる。今までずっと自分が許されて来た分、今度は回りの人を許してあげる番なのかもしれない。

私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。(マタイ18:33)

もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。(競灰蝪押В隠亜

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