「神様との出会いを中心に読む」


昨年10月号203に続く、露小説読み返しシリーズ、今回は第3段である。この作品を読むのは3回目。1,2回目は同じ翻訳者で読んだが、今回は代えてみた。本の虫と言われるほど生涯様々な本を読んできたが、そのベスト1か2にあたる作品なので、都度真剣に向き合っている。20代、40代で読んで、今回作者が書いた時とほぼ同年齢で読んだ。読むたびに感じるところが違う。翻訳で読んでいるので、解釈上それは違うと反論を持たれる方もいるであろう。前回も書いたが、あくまでも個人的な感想であって、これが正しい解釈だということではない。その点はご理解いただきたい。
タイトルはあえて出さないが、小説の舞台となる村の名前は、スコトプリゴニエフスク。ある父親と3兄弟、下男を中心に、1870年前後、8月の終わりから9月にまたがる3日間とその後日にわたる物語である。
作者はシベリア流刑時に流刑囚の家族からもらった聖書を溺読した、ということがどの評伝にも出て来るが、この作品にも他作品同様聖句がたくさん出てくる。聖句や神様についての記述を中心に読み進めるのがマサイ流読書である。

まず小説の巻頭に聖句がある。
ヨハネの福音書 12章24節
まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。

この物語は殺人事件の謎を扱ったものだが、今回は作中3兄弟の神様との出会いが実に印象的であった。特に関心という点では一番神様から遠かった長男が、神様に対して感動的に目が開かれた箇所にひかれた。
ずば抜けた体力の持ち主で退役したばかりの軍人である長男は、父親殺しの容疑で身柄を拘束される。尋問が一段落した後のうたた寝に夢を見る。火事で焼け出された貧しい母親と子どもがみぞれ交じりの雨に濡れながら立っている。長男にはどうして泣いているのか、不幸なのかが分からない。今この瞬間から、誰一人涙を流すことのないように、全力で何かしてあげたいと、と告白する。この夢のあと、長男は生まれ変わって、喜びに照らし出されているような別人になる。神様は夢を通して働きかけ、目を開いた。そしてそれが長男の転機となった。 このように長男は神様と出会ったのだが、信仰はまだ確固としていない。せっかく生まれた新しい人間が離れて行ってしまうことを恐れている。それは自分の中に閉じ込められていたもので、夢の件で雷のような一撃があり、外に出てきたと考える。しかし長男はこの不安に負けず、信仰は固くなっていく。「神様は存在する!」と絶え間なく自分に言い続けることができれば、何にでも、どんな苦しみにでも打ち克てる力があるような気がする。何千という悲しみに囲まれていても、拷問に身をよじらせながらも、杭に縛られても、神様は存在する。神様が見えなくても、神様が存在することは分かっている。神様が存在すると分かっていること、それだけでもう全人生だ、と語る長男は、神様と出会うことにより、自己存在についても確たるものを得る。長男は、自分の中の罪に対して死ぬことにより豊かな実を結んだ。

理論家であり、事件の真相を唯一知る次男は、無限の神が存在しなければ、どんな善行もあり得ないし、そうなったら、善行など全く必要なくなり、全ては許される、と常々犯人に語っていた。思想的に神様から一番遠かった次男が、長男の裁判の前日、一転神様を信じ始めた。全く神様を信じなかった人間の転機には感動的なものがある。翌日の法廷で自身を犠牲にして真実を告げることに喜びを感じた次男は、得体のしれない、喜びに似た何かが自分の内に訪れ、何かしら限りない強さを感じる。このように神様と出会った喜びに満たされて家に帰るのだが、部屋で待ち受けていたものは、人間の姿をとったサタンだった。サタンの攻撃は執拗で激しい。折角信じたものを自己の内から破たんさせようとする。それは精神の混乱にまで発展する。サタンの姿は次男以外には見えない。三男はこの病気の正体を、神様を信じるという誇り高い決心から生まれた苦しみ、深い良心の呵責であると見る。しかし犯人が自殺した今、精神に異常が見られる次男が真相を語ったところで、証拠もなく誰も信じない。思想上一番タフに見えた次男がサタンの攻撃に負けて行く。

そして神様に一番近い三男。巻頭の聖句は、三男を巡る箇所で再登場する。三男が尊敬する長老は、若き日に修道院へ入る決意をするが、その時謎の訪問客が現れ、過去の殺人の記憶と懺悔を語る。その時に長老が読んだ聖書の箇所がヨハネの福音書12章24節(一粒の種)、ヘブル人への手紙10章31節(生ける神の手)であった。人々の罪を恐れず、罪のある人間を愛せよ。神が創られたもの全てを愛せよ、と勧める。
三男が修道院の僧庵に戻ると、その長老の棺の前でP神父によりガリラヤのカナでの結婚式の場面(ヨハネの福音書2章)が朗読されていた。疲れて居眠りをするうち夢の中に長老が現れる。婚礼の式に新しい客を絶えず呼び招いている、それが永遠に続く。三男はここには何か痛いほど心を満たすものがあり、神の世界から伸びる糸とつながった、と感じる。誰かが僕の魂を訪ねて来たのだと言う。以前の罪深い自分に死に、神様の前に生まれ変わることにより、豊かな実を結ぶようになる、という大きな転換場面である。

ひとつの作品を読み終わった後、いつまでもこんなふうに神様の事を考えられるのは実に楽しい。神様が与えて下さった楽しみの一つと考えている。今回は三兄弟の神様との出会いについて中心に考えることが出来た。また10年くらいしたら読み返したいと思っている。次回は今まで気づかなかった何が浮かび上がって来るのかが楽しみである。