ゲーム考


天気が良いのに外で遊ぶ子供の姿がない。昔は学校から帰るとグローブとバットを持って再び学校へ戻ったものだ。最近はグラウンドの放課後使用が禁じられているのか、校庭にそんな子供たちの姿は見えない。

 塾へでも行っているんだろう。あちこちで聞いてみると、習い事の数は半端ではない。小学生になると放課後毎日あきがない。情操教育の音楽教室、絵画教室。体を作るスイミング、サッカー、剣道、空手。精神集中の習字。そして週2回の学習塾。

 こんなに忙しいから友達同志で遊ぶ暇がないのだろう。だから外で遊ぶ姿を見ないのか、と思っていたら、そうではないらしい。屋内でテレビゲームに夢中になっているのだ。これは小学校の高学年からやるものだとばかり思っていたら、幼稚園生からやっている。

 マサイはテレビゲーム禁止令を5才の息子に出している。天気が良い日は外で元気に遊びなさい、と言っている。今住 んでいるところは子供達が自由に遊べる環境でもある。以前には同じ団地にこの禁止令を出している家庭が一軒あった。息子と同年代の子供たちがいて、「ゲー ムは出来ない」と自分ではっきり言っていた。良い遊び相手だったのだが、残念な事にこの春引っ越してしまった。

 見ていると天気が良い日に団地の階段でソフトを交換しながら静かにハンディタイプのテレビゲームをやっている。息 子はやりたいのだが、親に禁止されているので出来ない。皆が夢中になっていると遊び相手がいなくなる。親としては一人で遊んでいる息子が可哀想になる時も ある。

 ゲームソフトにもいろいろあるのだろうが、今の世の暴力を暴力とも思わない者達の行動はここから来ているような気 がする。バーチャルの世界に慣れ親しいんでいるので、殴ってもお互いに痛くないし、やられてもすぐに起きあがってくる。暴力感覚の欠如が生まれる。ものを 大切にしない。破壊したがる。このことはゲームを禁止した原因の一つ。

 妻はあまり強く禁止をすると、友達の家に行って隠れてゲームをやるようになることが怖いという。今の所はやってくると(「家でゲームをやろう」と誘われるらしい)、怒られるのは承知で白状する。親はやったことより、パパとの約束を破って何とも思わなかったのか、と怒る。

 では雨がふったら良いのか、ということになるが、これもダメ。家には本、玩具、折り紙、粘土、何でもある。親としては創造性を高める遊びをして欲しい。物を壊すのは誰でも出来るが、作るのは難しい。

 このテレビゲーム、集中力がつくようでその実そうではない。真の集中力は物を読んで考えるところから生まれる。

 回りの親に聞いてみると、「皆が持っているから買ってやった」という。またゲームを通して友達の輪が広がっているから、ゲームがないと仲間には入れないし、ゲームがない家には遊びに行かないという。サタンの支配っていうのはこうやって広がっていくのか、と考えてしまう。

 牧師に相談すると、本人が自覚を持って決めた時間内で終われるようにしたり、ソフトによって、人を殺したり殴ったりするようなものはしないとか、判断出来るような年齢になったらやらせても良いのだが、そうでないと自制が効かなくなるという。

 親がゲーム好きな家は一緒にやっているらしいのだが、マサイも妻もやらない。どうして禁止するのか分ってもらえな い親が回りには多い。子供たちがゲームに夢中になる一番の原因は、親が遊んでやらないところにあるのかもしれない。テレビゲームをやらせておけば、親は楽 だ。放っておけばいい。

 しかしその年齢の時に、その年齢にふさわしい、その時にしか出来ない生き方があるはずだ。それをしそこねることに よって、そこから学ぶ事がなくなるような気がする。その学びをさせてあげる事が親としての役目であり、大切な事であるのでは、と妻が言う。どろんこになっ て遊ぶ時、木登りをする時、本来その年齢でやっておかなければいけない事をやらずにいると、将来支障が出てくる。

 回りの人がどうだからということを考えると、分らなくなって混乱してくるが、テレビゲームは5才の息子にとって、ふさわしい、その時(今)にしか出来ないことではないような気がする。これが禁止令の理由である。

 今は服がどんなに汚れようと、真っ黒になって虫を追いかけて欲しいし、いっぱい泣いて、いっぱい笑って欲しい。でも怪我にだけは気をつけてね、愛する息子よ。

伝道者の書3章1〜8節

3:1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

3:3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。

3:4 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

3:5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

3:6 捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

3:7 引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

3:8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

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