「エンディングノートを書いてみると」


7月1日、翻訳家であった義兄の葬儀は神様に祝福された素晴らしいものになった。平日金曜日の13時からにもかかわらず80人以上が参列してくださった。そんな人たちにティム・ヒューバー牧師の「確信を持って生きる、また死ぬ」というメッセージや、病床で神様を受け入れた義兄の最後のメッセージ、妹である細君の故人の思い出の中で語られた証しがしっかりと伝わっていた。神のなさることはすべて時にかなって美しい。ハレルヤ!
エンディングノートが売れていると聞く。遺書を書くには勇気がいる。しかし伝えておきたいことをまとめることは、死だけではなく、改めて生を見つめることになる、という。息子のためにもエンディングノートを書いておこうと細君と話す。マサイは一人っ子であるので、S家の歴史を背負っている。それを次世代に引き継いでいかなければならない。
ノートは、細かいながらなるほどそれは必要だと思える項目を記入しておくようになっている。「もしも」のときにすぐに知らせてほしい人、病気について、介護について、終末医療についての考え方、財産、遺言、葬儀、お墓、履歴、思い、など。
こうやって改めて項目を並べてみると、息子が知らないことは多い。例えばマサイの父方の墓は小田原に、母方のは大磯にある。細君は連れて行ったことがあるが、息子はない。細君の両親は三浦の教会墓地に入り、義兄は富士の登戸エクレシアキリスト教会の墓地に入ることになる。マサイの親戚関係についてはうっすらとは分かっているだろうが、正確なところはマサイしか分からない。細君や息子のために、自分の周りを整理しておくのも良い機会なので真剣に書いてみようと思う。
貸付金や借入金、ローン、保証債務、ショッピングローン・・・全てなし。したこともなし。
財産といえるものは、本がたくさんある。今では手に入らない絶版物もあるのだが、マサイの蔵書印が朱で押してあったり、ページの端が負ってあったり、線が引いてあったりするので、買い取ってもらえるかどうか。ただの文庫本でも、マニアが見たら垂涎の的というものもある。生涯読んできたもののベスト10を書いておくので、気に入ったら読めばよいし、その他は古本屋を呼んで買い取ってもらえばよい。クラシックCDは、現在は廃盤で手に入らない歴史的名演を含め、たくさんある。これも場所をとるものなので売り払ってしまって構わない。財産と言えるのはこれくらいのもの。
生命保険や年金、損害保険については証書を写せば済む。履歴は書き始れば長くなるので、簡潔にまとめておこう。パソコンについては登録メールアドレスや受信メールその他の保存データをどうするかを記入する欄がある。取っておいてもしようがないものばかりだろうから、消去して一向に構わない。生きている間は不要な物をひたすら収集し取り置くという行為を繰り返しているということになるようだ。本人にとって必要な物も、家族ですら不要な物である。だから宝は天に積んだ方が良い。

マタイの福音書
6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。

しかし残すべきファイルは一つだけある。息子の泳いだ大会の全記録。5歳で出たスイミングクラブの構内記録会以降、出場レースのラップタイムが全て記録してある。これだけは取っておいてほしい。
法定相続人は細君と息子。遺族間の争いが起こるわけもないので、遺言は書くつもりはない。遺言はないということをこのノートに書き留めておこう。弁護士、税理士、行政書士、遺言執行人は現時点では誰もいない。
かかりつけの病院は、めったに行かないが近所の内科。定期検査に行っている病院と眼科医、人間ドックの健診クリニック。このあたりにカルテが残っている。56歳の今、既往症や持病はない。常備薬もない。病名や余命告知については、病名も余命も全てマサイには告知してほしい。しかし不安にさせたり心配させたりしないように、細君には伝えないでいてくれれば有難い。ただ単に死期を延ばすだけの延命治療なら希望しない。口から食事が摂れなくなったら胃ろうにする必要はない。臓器移植と献体は考えていない。マサイの判断能力がなくなった時は、第一に細君、第ニに息子の判断に委ねる。
葬儀はなるべく質素に、遺影は不要。残された遺族のために祈ってもらう場にしてほしい。今までサーフィンをしてきた海へ散骨してもらうのが希望。葬儀の際には頌栄539番を最後に歌ってほしい。高校時代、チャペルでのアッセンブリーアワーや礼拝の時間に立派なパイプオルガンの演奏で何度も賛美したものだ。

あめつつこぞりて
かしこみたたえよ
みめぐみあふるる
父、み子、みたまを アーメン

聖書の箇所で一番好きなのがローマ人への手紙8章28節。

8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

この御言葉に乗って昇天したと話してくれれば嬉しい。葬儀ではバッハの無伴奏チェロ組曲を流してほしい。演奏はパブロ・カザルスではなくヨー・ヨー・マで。
 ここまで書いて、改めてクリスチャンであることを喜ばしく思う。神様に守られ、導かれ、感謝を捧げられる特権は実に素晴らしいものである。そこには不安がなく、希望があふれている。生前翻訳を通して聖書にふれていた義兄は、今頃天国でイエス・キリストと会っているに違いない。神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる。ハレルヤ!

コリント人への手紙第一
15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。
15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
15:57 ・・・神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。

ピリピ人への手紙
1:20 それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。
1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。
1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。
1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。
1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。

ヨハネの手紙
5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。