「成人おめでとう」


息子に成人式の案内が来た。2016年1月成人の日にセレモニーがある。川崎市は近隣の3つの区合同で行うので、水泳仲間とも一緒に祝える式典となる。同日にある中学校同窓会の案内も来ていた。前日の日曜日も、次の日曜日も水泳の大会なのだが、参加できるのを楽しみにしているようだ。
息子は10月1日で20才(はたち)になった。誕生日はずっと家族そろってお祝いをしてきたが、昨年から寮に入ったので出来なくなった。朝、ラインで「おめでとう」と送る。朝練の最中だろうと思いながら、練習後に見てくれればよいと送っておいた。細君は息子の昔からの写真をうまく組み合わせて20年の歩みを昨晩遅くまで作っていて、それを朝ラインで送っていた。9時過ぎにお礼の返事が来た。息子は大学2年生。朝3時40分起床で、朝練〜授業〜午後練〜筋トレという毎日を送っている。早起きは「慣れた」という。毎日自炊。親が思っているより、しっかり生活しているようだ。
昔のアルバムを出してきて細君と見る。生まれた時のことは鮮明に覚えている。日曜日の夕方だった。お印があったので病院に入ったもののなかなか下りて来なくて、医者の勧めに従って細君と手をつないで何度も階段を上ったり下りたりしていた。立ち会い出産だったので、マサイは細君より先に息子の顔を見ている。誕生の瞬間は実に感動的だった。その日からこの方、息子のことを祈らない日はない。神様は祈りにこたえてくださり、大きな事故に遭うことも病気にかかることもなく元気でこの日を迎えられた。心より感謝します。
大人になったわけである。自分が20才の時のことを思い出してみる。ひげを生やして片端から本を読み漁り、作家の足跡をあちこち訪ねまわっていた。今にして思えば、あらゆる可能性が目の前に開けていた時期で、恐いものを知らずにどんどん前に向かって進んで行かれた。何でも出来る気がした。そういうキラキラした時期に息子がいるのをうらやましく思う。
細君とここまで無事に育ててこられたことを神様に感謝し、安堵している。神様に祈り、子どもを授かって、子育てを真剣にやって来た。全てが成功だったと言える訳はないが、いい加減にしたことはない。常にこれで良いのかどうかを祈り求め、この世的に皆がうらやむ道ではなく、御心にかなった道へ導いてくださいと祈り、全ては神様のご計画であるので何事にも意味があると信じてやってきた。そして今、親としては子育てのゴールに近づいた感がある。大学がまだ後2年あるのだが、それもカウントダウンできる時期になって来た。今は責任を持てるクリスチャンとして社会に送り出せるように祈っている。
生まれた時から祈りのある家庭で、御言葉と神様への感謝のある毎日を送って来た。息子はそういう世界しか知らないので、それが普通家庭の日常であると思って育ってきた。寮生活で感じ始めているかもしれないが、成人したということはそうでない価値観を持つ人たちの中で社会的責任を求められるようになるということだ。これからは何をしても、全て大人として扱われる。狼の中に出て行ったばかりの羊のようなものだ。しかし神様がそばにいてくださる。神様は常に見守り、導いてくださる。どこにおいても神様を認めて、信じて真直ぐその道を進んで行ってほしい。常に神様と向き合って、神様に全て委ねて、神様とともに歩んでほしい。そうすれば人生は揺るがない、という神様の約束があるのだから。神様の祝福があふれますように、これからも祈り続けます。成人おめでとう。


箴言
3:6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

箴言
16:3 あなたのしようとすることを【主】にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。

詩篇
34:10 若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、【主】を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。

コロサイ人への手紙
3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。