「心配は神がしてくださる」


3号続けて介護の話で恐縮です。既に終えた方は自分の時を思い出していただいて、これからの方はいつかのための参考にしていただければと思う。介護中の方には至らない点などをアドバイスしていただければ有難いです。
父の様子がおかしい。介護が必要なのは母だが、老老介護をする方の父がまいっている。全てを自分でやらなければいけないと勘違いして追い込まれているらしい。健康な時は父が2階、母が1階に寝ていた。看護が始まって父は下のソファをベッド替わりにして、母の隣の部屋で寝るようになった。ソファベッドなので寝心地はよくない。おまけに革なので寝具が滑り落ちる。夜ろくに眠れないというので、細君と一緒に行った時に、我々が看ているから上で寝るようにと、2階の自分の部屋で休ませたのだが、しばらく経って眠れないと降りてきた。
腰も痛いし自分も最近立ちくらみがするのに、面倒を看きれない。入院するほどの病気ではないので、どこも受け入れてくれない。つききりで看ているので、自分が病院へ薬をもらいに行くこともできない。自分にもしものことがあったらおしまいだ。自分は男だから病院に連れて行っても検査着に着替えさせることが出来ないので、母の妹が一緒に行ってくれるから助かる。家で体を拭いてやるにも男だから出来ない。(こう出来ないと繰り返すのだが、その意味がマサイには分らない。自分の妻の着替えや体を拭く面倒をなぜ看られないのか、理解に苦しむ。男だから女だからという問題ではないだろうと思うのだが、そのまま聞いていた。)その妹(叔母)も病院で検査を受けたところ、どこか悪いところが見つかったらしい。もしものことがあったら終わりだ。ネガティブな発言は続く。何も出来ないでいるなら死んでしまおうかと思った、とまで言う。ろくに買い物にも行かなくなって、コンビニのおにぎりを食べていたという。
完全に介護ノイローゼになっている。全てを背負い込まなければいけないと思っているようなのだ。父母にはまだ伝道ができていない。神様を知らないというのはこういうことかとつくづく感じた。祈れる、委ねられる神様がいるということは、大きな安心につながると実感した。心配は神がしてくださる。
心配している一つ一つを解決してやろうかと話を聞いていると、どんどん話は別方向へ向かっていく。それを元に戻してまとめてやろうとすると、自ら解決を避けるように全く別な心配事を口にする。自分がいかに大変かを聞いてあげれば良いのかと考えて、ただ聞くことにした。その間母は痛いとも言わずに介護用ベッドの上で横になっている。
そんな時、細君は自分の親の介護をしてきたので、てきぱきと父親に対応してくれる。ケアマネージャーさんはいるのかと聞くと、そう言う人はいるという。どんどん利用しないといけないというと、今朝病院でも「いっぱい介護保険料を払ってきたのだから、自分で抱え込まずに使わなければいけない」と医者にも言われてきたという。しかし利用すればよいと言われても、具体的にどうすればよいのか、何をしてくれるのかが分からないらしい。細君がその場で直接ケアマネさんに電話をしてくれた。近所に住んでいるらしい。細君は自分の携帯番号を告げて、いざとなったら連絡してくれるように話をつけていた。具体的に何を頼めるのか、今の状態では週にどのくらいそういう時間を使えるのかを聞いて、とったメモを清書しながら分かりやすく父に説明してくれた。もらった名刺には主任介護支援専門員とあって、ケアマネージャーと書いてなかったので、分かりにくかったらしい。父は親切な市役所の人と思っていたようだ。細君も電話で話をしてみて、安心できる相手だったという。とにかくいろいろなことを自分で探して手配するという心配をすることなく、まずこの人に連絡をすればいろいろ手配をしてもらえる。窓口はひとつということが分かった。父親はそれを聞いて安心したらしい。介護経験者である細君のアドバイスを聞いて、2階から降りてきた時の憂鬱そうな表情が消えている。
午後は細君に庭で髪の毛を切ってもらってスッキリしたと喜んでいた。細君は鈴木家親子3代の髪の毛を切っている(次回は母の分もというに予約が入っている)。ソファベッドも向きを変えたり、マットを敷き直したりして、快適に寝られるように調整をした。父の表情がすっかり和らいだのを見て安心する。
会社の健康保険組合がいろいろ介護についての講習会を開いている。参加できない人のためには自宅でできる学習教材をくれる。早速申込むと、何冊もパンフレットをくれた。介護保険の上手な利用法など、聞きたかったものも入っていて勉強になる。ある一定の年齢を超えた人には全員こういう講習を受けるよう義務付ける方が良いと細君は言う。確かにそうだ。介護は突然やってくる。対象が自分になる場合もある。しかし何をしたらよいか、法律はどうなっているのか、誰が助けてくれるのかを知っていると知らないでは全く違う。いざという時に困らないための準備が必要であると考えた。
しかし何より、介護知識の前に神様を知っているかいないかでずいぶん違うことがよく分かった。まず祈れる神様がそばにいること、祈れば平安が与えられるということ、それは大きい。全てを委ねられる神様に感謝。
細君が毎日祈ってくれる。父からしばらく連絡が来ないなと思っていたら、「今日から週二回、火、金曜日に訪問リハビリが入るようになった、訪問看護師も月一で来てくれることになった」というメールが来た。ネガティブなことが書いていないメールは久しぶりだ。安心する。神様感謝します。

ピリピ人への手紙 4:6
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

ペテロの手紙第一 5:7
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。