「石、ありませんでした」


10月に結石騒ぎで夜中に緊急病院に行ってから半年が過ぎた。あれ以来同じ症状は出ない。すっかり痛みのことや汗だくになって七転八倒したことなど忘れてしまった。次の検査がある4月にCTを撮って石の有無を確かめることになっていたのだが、何の痛みもないので、キャンセルをしようかと迷っていた。決算で忙しい時期だし、お金もかかりそうだし、とあれこれ断る理由を考えて電話をかける寸前まで行った。胸のレントゲンと違って、人体を輪切りにするのだから、ちょっと怖くもある。細君がWEBで金額の相場を調べてくれて、それくらいならまあ行っても良いか、ということになった。
石がある場合はこの検査ではっきり分かるらしい。もし見つかったら、大きさによってはレーザーで粉砕、手術で除去、ひたすら水分をとって体外へ排出するように、と言われるのを覚悟していた。朝食を抜くという指示に従って、何も食べずに病院へ。予約なので行くとすぐにやってくれた。検査着に着替えて診察台の上に横になって両腕を上げる。あとは勝手に機械が動いてくれる。あっけないほどすぐに終わった。
診察結果は2時間後。尿管にも腎臓にも石はなし。あの時の痛みは何だったのだろうか。たった一個あったものがおしっこと一緒に出てしまったのだろうか。コンピュータ画面をスクロールすると、自分の体の撮影した部分が上から下へ移動する。自分の体の内部がこうも簡単に見られるものかと驚く。医者は全くない、と明るく説明をしてくれた。大変なことのように考えていたCT検査があっという間に終わってしまった。
この検査結果に安心する。今までは父親もこれで病院に担ぎ込まれたのだからいつか自分もやるかもしれない、という心配があった。ただ親がこれをやったのは自分より年若い時だった。それが全くないのである。急に晴れやかな気分になった。
PSAの値も変化がないので、半年に一辺ずつやっていた血液検査も1年に一度で良いという。これは2007年からやってきた検査だ。9年間に20回同じ検査をした。9年前は年齢も若いので心配だということだったが、別のことがきっかけで値が高くなる場合もあるので、もう心配する域は超えたらしい。その他ちょっと前に検査をした首筋の血管も異常なかった。詰りなく、勢いよく流れていた。マサイは健康体なのだ。
病院に行くと、人を助ける仕事をする人がこんなにたくさん働いているのは素晴らしい、この仕事はどれだけ尊いことか、感謝、といつも思うのだが、できるなら医者にはかかりたくない。待ち時間も嫌だし、何度も通わないといけないのはもっといやだ。病院に行くと、ひどく悪くなったような気になってしまう。異常なし大丈夫、と言ってもらえればスッキリするからいいではないかと分かっていながら、今回も検査結果が出るまではすっかり結石持ちの病人になった気分だった。
日常はまず、神様に祈って、委ねることを最優先するようにしているはずなのだが・・・。癒し主なる神様はちゃんとそれに答えてくださる、ということも分かっているのに・・・。検査結果が出た後、しばし反省をする。神様ごめんなさい。

詩篇55:22
あなたの重荷を【主】にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。

今、不調はないが、代謝は悪くなっている(運動をしないと確実に太ってくるのだが、今まではこれをすれば確実に身に付いたものが落ちる、と思っていたものが落なくなっている)。年齢からくるもので、それは仕方がないか、と諦めている。こいつ時々注意をしないと、運動で暴走するかもしれないからと、神様に釘を刺されているのかもしれない(細君にはいつも注意される)。

コリント人への手紙第一
6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。