「信じます」


大学生の運動部で寮生活をしているので自由になる時間がほとんどない息子に牧師が連絡を取ってくれた。息子は今までなかなか教会の牧師とゆっくり話す機会もなかったのだが、今回は特別にそのための時間を作ってくれた。
気にはなったが、もう大人なのだから今までのように親が一緒にいるよりも、自分で考え判断できる機会にした方が良いと思ったので、この時間は牧師に任せることにした。後日息子に聞くと、大学の帰りに教会堂に寄って牧師宅でしばらく話してきたが、良い時間をもてたという。
雑談でもしてきたのかと思ったら、随分濃い話をしてきたようだ。基本的な信仰の話から、信仰の学びまでしてきたらしい。教会には生まれた時から通っているのだが、改まって信仰の話をする機会は初めてであった。親としてはその時間が神様の祝福に満たされるようにと祈っていたので、祈りの答えに感謝する。息子がその話の時に使ったメモを欲しいといったら、わざわざ牧師が書き直してくれたという。お互いが想像以上に満足できた時間だったようだ。
マサイも約四半世紀前に同じ話を同じ牧師にしてもらった。場所は教会発足時のアパートだった。マサイの時はオレンジ色の表紙の小冊子を使ってだったが、今は少し大型になって写真も印刷も綺麗になった小冊子を使ったのだろう。内容は同じようだ。

神は私たちを造り、私たちを愛しています。
私たちは罪の状態にあり、神とは断絶状態にあります。人間的な努力を積み重ねても、この断絶を埋めることはできません。 人の「罪」のために神が用意してくださった解決が、イエス・キリストです。私たちはイエスによって神を知り、神の愛を体験することができるようになります。イエスは私たちの身代わりとして死なれました。イエスは神への唯一の道です。
イエス・キリストを受け入れることによって、神を知り神の愛を体験できるようになります。イエスを受け入れるとは、イエスを信頼するということです。私たちはイエスを個人的に信頼する必要があります。
イエスを信頼した人々に、聖書は永遠の命を約束しています。
(日本キャンパス・クルセード・フォー・クライストのKNOWING GOD PERSONALLYより)

マサイが使ったテキストには神と我々の断絶を十字架が橋渡しをして埋めているイラストがあった。神との断絶を埋めることは、人間的な努力を積み重ねても出来ない、とはっきり言っているのと、その解決方法を探し求めよというのではなく、イエスが神への唯一の道であると答えを教えてくれているのが実に分かりやすく、強く心に響いた。信仰の原点であるこの内容はいつ読んでも喜びと感謝を持って受け入れることができる。今でも疑うことはない。
マサイは親がクリスチャンではないので、こういうことをまず深く考え、聖書を熟読し、信じることから始まっているのだが、息子はクリスチャン家庭で育っているので、それが全て当たり前だと思っている。祈りや聖句は日常生活の中の一部であるし、それ以外は知らない。牧師に信じますか?と問われた時は、何を疑うことがあろうかという状態であったと思う。しかしその点はクリスチャン一家で育った牧師の方でそういう気持ちを理解してくれたに違いないない。ただ自分の言葉ではっきり「信じます」と言えたのは訪問の最大の収穫だった。マサイも細君もこのことを聞いてほっと安心し、神様に感謝をした。
自分がクリスチャンになることを親にどう説明しようかなどと気を煩わす必要もない。安心してイエス様を信頼していけば良い。マサイの希望は、息子が父親と同じヒューバー牧師に洗礼を受けさせてもらうこと。親子二代で同じ牧師に、ということを願っている。よろしくお願いします。
イエス様を信頼し、心の中にイエス様が来てくださり、全ての罪が赦され、神の愛する子どもとされ、永遠の命が与えられ、全く新しい人生がスタートしました。アーメン、感謝します。

ガラテヤ人への手紙
2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

ヨハネの福音書
5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。

コリント人への手紙第二
5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。