「安息をくださる」


最近はあまり聞かないが、花金(花の金曜日)という言葉があった。一週間の厳しい仕事を終えて、さあ週末だ、という楽しい土日を前にして気持ちの昂ぶりを表す華やかな言葉である。昔は土曜日の出勤が交代であり、この言葉を、フン、いいよね、と斜に構えて聞いていた。2年前からやっと土日も休めるようになったが、花金にならない。想像していたようには気持ちが浮き立たない。仕事を終えた感がないまま、というか片付かない感を持ったまま帰途につく。
毎日仕事が終わらない。仕事はひとつ終わらないうちに次が来る。どんどん湧いてくるイメージだ。朝から休みなく、昼食も席で早々に済ませて両耳から煙が出るくらいの勢いでやっているのに、終わらない。途中から明日の土曜日も出社しないといけないかもしれないと考え始める。細君の顔が思い浮かぶ。せっかく休みを一緒に過ごせるのに、仕事でそれがダメになるのは考えたくない。
机に向かって、仕事を続けていればいくらでも続けていられる状態のところを、さすがに集中力がなくなってきたからと諦めて席を立つ。駅へ向かう道道は、後ろ髪を引かれていて安心感がない。席にいれば何かあっても対応出来るので、ずっと会社にいた方が、気分的には楽に思える。途中から外での仕事に出かけても、戻って仕事をしていた方が、翌日朝一での体制がうまく整えられるのに、とずっと考えている。翌日の朝出社してからでも十分間に合うことを、やってこなかったと気にしている。
家には仕事を持ち帰らないのだが、休日にも携帯電話は鳴る。受けてしまうと会社に行ってそれを片付ければ、という気持ちが湧いてくる。かけてくる方も月曜日で間に合うのなら月曜日に会った時に言えば良いものを、会社に行くまで落ち着かなくなる。こういう終わらない感、仕事をやり残した感がずっとついて回っている。だんだん家に帰る時間が遅くなる。今まで家にいたような時間になってもまだ会社の机に向かっている。帰りがけに周りを見渡せばいつも残っているのは同じ顔が多い。そういえばこの連中も昼にコンビニで買ってきた弁当を席で食べているので、ずっと同じ場所にいる。
こういう不安に覆われての花金なので、週末も会社にいた方が安心できる。何をするわけでもないが安心感は持てる。マサイは会社の人と飲んで帰るということをしないが、飲んで家に帰らないというのも、家に帰って不安でいるより良いと考えているのだろうか。プレッシャーは上から下から左右からくる。ぐっとこらえる瞬間が多くなっている。こうやってうつ病になっていくのだろうな、と考える。妙に冷静なのだが、そうならないようにと常に祈り続けている。
もういいや、という気持ちで週末は休む。明日のための心配は無用だと書いてあるので、土曜日に会社に出るようなことはしない。家に着いて風呂に入る頃には気持ちも落ち着いてくる。

マタイの福音書
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

一晩寝ると腹も座る。休んでいる最中は仕事のことは考えない。月曜のことは月曜に考えれば良い。休日の早朝に走ると、ランニングコースにある教会の前に日曜礼拝のメッセージタイトルが掲示してあるので必ずチェックする。

ルカの福音書
6:5 そして、彼らに言われた。「人の子は、安息日の主です。」

そうか、と感動して、反芻するように頭の中で繰り返す。「人の子は、安息日の主です。」帰ってからは細君と過ごす。一緒に出かけるか、どこへも行かない時は、好きな音楽をゆっくり聴いたり、本を読んだりする。こういう時は仕事のことは忘れていられるのだが、ぽっとした拍子に煮詰まっていた仕事の解決方法が浮かぶことがある。休んでよかった、やっぱり休まないと、と思う瞬間である。安息日の主であるイエス様に感謝。