「作者の真の意図を汲み取る」


年末から年始へ向けて、リセットされる瞬間が好きだ。1年間365日、積み上げてきたものが、一度リセットされて、また一から始める前のまっさらな状態になる。一生懸命積み上げてきたものが、2014年というくくりの中に全てしまわれていく。マサイには、バッハの音楽とトルストイの本を楽しむことができた年だった。
去年の2月号に書いたが、53才になってトルストイの「戦争と平和」を読み終えた感動が残るまま、続けて「アンナ・カレーニナ」(レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ 木村浩訳 新潮文庫)を読んだ。
物語は1870年代のモスクワ、ペテルブルグ、作者の出身地を思わせる田舎、外国で展開する。アンナは、虚偽と欺瞞の悪魔が自分の中にひそんでいるのを感じながら、その悪魔に身をゆだね、夫と息子を捨てようとしている。夫カレーニンと妻アンナ、そこにヴロンスキー、リョービンとキチイ、リョービンと2人の兄、リョービンと百姓(作中に出てくる言葉をそのまま使っています)、この組み合わせのやりとりで物語は進んでいく。
タイトルから都会的なアンナだけの物語のような印象があるかもしれないが、田舎の粗野な雰囲気を持つリョービンという太い筋がもう1本通っている。ことにリョービンと百姓のやり取りの中にロシア社会を支える農村階級が持つ問題と現実、それに対する作者の考えが現れ、リョービンと2兄弟間のやりとりの中に、ロシア社会の抱える問題と作者の考えが出ていて興味深く読んだ。物語の本質は、実はこのリョービンによって多く語られているのである。
アンナとヴロンスキーの不倫逃避行がこの作品の主であるように書いている解説は多いが、もう一本の中心線である、リョービンという大地に根ざす田舎地主の信仰の目覚めについて書いているのは少ない。かつて信仰を持たなかったばかりでなく、かたくなに避けていたリョービンが、最後にはキリストの信仰に目覚める、ということがこの物語の中では大切で、作者が一番言いたかったことではないかとマサイは思う。アンナとヴロンスキーのいる、信仰に根ざすことのない虚偽と欺瞞にあふれた上流社会と、神様に祝福された世界との対比という物語の構図を(もし読む機会があれば)クリスチャンとして読み取って欲しい。
不倫の罪についての物語なら、アンナの鉄道自殺で終わっても良いところだが、この物語はその後しばらく続き、そこでリョービンの信仰に対する目覚めと確信が語られる。特に信仰を前にした人間が、神様を受け入れることを抵抗し悩むさまが良く表現されている。リョービンは、神様について真剣に考えていたのだが、納得がいくまでは受け入れることができない。私とは何ものであるか、何のために私はここにいるのか、ということについて答えを出せないでいたのである。
しかし農地の草の上で空を見上げながら、神様との関係が徐々に深まっていく。大自然は、神様を身近に感じ、己についても深く考えさせてくれる。最後の神様に対する目覚めも、やまならしの木陰の、まだ刈られていない草の上に腰を下ろしていた時であった。
 リョービンは、自分に生命を与えてくれる存在を発見したのではなく、信仰によって理解した、虚偽から解放されて本当の主人を見出した、という。同時に神の真理は個人的にではなく、愛によって結ばれた人々の集まりである教会によって知ることができると、教会の重要性についても語れるようになる。
信仰に出会って暗闇に急に明かりがともったように劇的に人生が変わった、という人間は多くいる。ただそういう分かりやすいケースばかりではない。それを楽しみにしていて、いざそれが自分に起こらないと、信仰に対する自分の姿勢を疑ってしまうものである。しかし実はすでにイエス・キリストの顔を映している自分の姿に気づかないだけなのだ、というところを実に的確に表現している。
神様との出会いや関係作りにおいて、リョービンの通ってきた過程は、実はマサイにも覚えがある。だから今回よりこの作品を身近なものとして読むことができた。同じようなことで悩んでいた時に、この本を読んでいたらと思うが、その時には細君や教会のメンバーがそばにいてくれたので、現在がある。
どうぞ読んで下さい、と気軽に勧めるには長い小説であるが、こういう作品の作者の真の意図を汲み取れるのもクリスチャンの特権である、ということだけ分かってもらえれば良いなと思います。

詩篇
62:5 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。
62:6 神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。
62:7 私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、神のうちにある。
62:8 民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。

65:4 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。