「胃カメラで見つかったものは」


年に一回毎年行っている人間ドックで必ずひっかかる項目がある。判定A〜FでAが異常なし、で良い方。ほとんどがこれ。Fが要受診。これはなし。Cが要経過観察なのだが、このCが4つある。
Cのうちの2つは定期的に看てもらっていて、問題はないと言われている。もうひとつは悪玉コレルテロール。正常値とされる範囲を少し上に超えてしまうのだが、マサイの父親も高い。遺伝なのだろうと思っている。暴飲暴食をするわけでなく、細君がコレステロール値の低いものを選んで食事を作ってくれているし、昼食も細君が作ってくれた弁当を持って行っている。走る時も、体の隅々の毛細血管に血流が届くように、ゆっくり走るようにしている。数値がほんのちょっとオーバーしているだけで、血液脂質が異常値です、と警告されたが、値が下がらないのは体質なのだろうか。新聞に載っている週刊誌の見出しや、新刊本の見出しに、高くても良いようなことが書いてあるものがある。しかしこれが原因で起こるのは血管の詰まりや破裂などである。気になることなので、近所のかかりつけの医者に、首筋の動脈をエコーで見てもらった。左右ともに問題なし。そばで一緒にいてモニターを見ていた細君が、何の詰まりもなく、太く勢いよく流れていたと教えてくれた。これでこちらは一安心。
さて、最後の一つ。胃部X線の診断結果で、今までずっと「胃上部ポリープの疑い」と書かれてきた。これが6月の診断では、「疑い」が取れた。なくなったのではなく、「胃上部ポリープ」と書かれていた。どうやらあるらしい。悪性なら心配だ。前回血管の詰まりを見てもらった時に、一緒にこの件も片付けてしまおうと思っていたのだが、仕事が忙しい時だったので、予定の隙間に予約を入れることができずにずるずる来ていた。
細君が予約を入れてくれた。二人で祈ってから病院に行く。まず再度コレルテロールの件を相談すると、甘いものは好きかという。マサイはケーキはそれほどではないが、あんこ派である。空腹時の甘いものを好む。これをほどほどにしろという。禁止ではなくほどほどとは温情のある診断であった。
さて予約の胃カメラである。鼻から入れるか喉から入れるかと聞く。どちらでもと言ったら、鼻から入れることになった。右より左の方が穴が大きいらしい、右を試してから左へ移動した。喉の辺りを通過する時は苦しかったが、あとはするすると入っていく。本人もモニターで見れますよと言われたが、ずっと見ていると喉のあたりで管が動く感触が嗚咽につながるので、ひたすらおとなしく目を伏せていた。時々カラーの画面を見たが、自分の体の中を見るのはあまり気持ちの良いものではない。細君が肉屋で売っているもののようだったという。ホルモン系のことらしい。
カメラは一旦胃に入っても上下見たいところが見えるらしい。医療技術には驚くばかりだ。件のものはひだに隠れるようにしてあったのを見つけてくれた。ひだひだの中で、虫刺されのように丸くぷくっと膨れたモノがそうだという。形状から見て悪性のものではないが、組織をとって調べるという。早く終わるのかと思ったら、十二指腸まで進んで看てくれた。こちらは問題なし。
一安心ながら、綺麗な胃の内膜に縦に点々と走るものがある。赤いてんてんとした傷のように見えるのだが、これがストレスであるという。今の部署に移ってストレスがなくなったと、以前月刊マサイに書いたが、その時の名残か、今だに少しはストレスと感じているのだろうか。ストレスは自分が思うことと現実が違うことへの不満が爆発した怒りである。精神的なものかと思っていたものが、こういうふうにはっきり目に見える肉体的な傷であることに驚く。怒りによりストレスを感じることは、自らの肉体を傷つけていることなのだ。先生は笑って説明をしてくれたが、自分としてはポリープ以上にこれは気をつけなければいかんと大きなショックを受けた。
組織を取ったものは8日後に結果が分かるという。結果についても祈っていく。何より、怒りを収めることが健康にも大切であると教えられた診断であった。主よ、愚か者は怒りやすく自信が強い(箴言14:16)ことを悔い改めます。その怒りのもととなる自信を取り除けてください、お願いします。

神様、どうか私にお与えください
変えれらないものを受け入れる心の平安を
変えられるものを変える勇気を
そして、その違いを見極める知恵を
 「平安の祈り」 ラインホールド・ニーバー

箴言
16:32 怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。

19:11 人に思慮があれば、怒りをおそくする。その人の光栄は、そむきを赦すことである。

27:3 石は重く、砂も重い。しかし愚か者の怒りはそのどちらよりも重い。

18:14 人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。
18:15 悟りのある者の心は知識を得、知恵のある者の耳は知識を求める。