「読み終えられて良かった」


昔は買った本に買った日付を必ず入れていた。いつ買っていつ頃読んだかが分かるようになっている。細君はお姑さんであるマサイの母親に「あの子は本に育てられた」と何度も言われたという。この正月もまた言われて来た。一人でいた頃は確かに本漬けだったのだが、最後までたどり着けずに途中でやめた本もたくさんある。
読みたくて買ってきても、スムーズに頭に入ってこないものは読んでいて辛い。そういう時に他に読みたい本が出てくると、辛い本は後回しになる。放り出された本は、途中でやめたところにスピンやしおりを挟まれたまま、復活の日を待っている。読み終わった本のスピンは丁度真ん中のページに挟むようにしているので、スピンが中心からずれている本がまだ読み終わっていない本ということになる。そういう本を何年か経って手に取ると、やっと読んでくれるのかと本が喜んでいるのが伝わってくる。長い間読まなくて悪かったね、と本に詫びながらページをめくっていく。読まずにいる本というのはずっと気にかかっているもので、これが読めるようになるということは、この上もない喜びである。
昨年後半から、トルストイの「戦争と平和」(全4巻)を読み始めた。この文庫本には1985年11月30日の日付が入っている。実はこの一巻目は今回で読むのが3回目になる。しかし前1、2回目ともに2巻目で挫折しているので、最後まで読み終えていない。2巻目の250ページにスピンが挟まっているということは、挑戦2回目にここで息絶えた証拠である。
何かきっかけだったかは忘れてしまったが、また本棚から取り出した。さすがに3回なので、今度途中で放り出したら一生読めないから、と根気よく読み進めることにした。ところが28年前に買って読むのが3回目ともなると、一巻目は本もボロボロで、電車の中で343〜352ページがはずれてしまって、読みながら落とさないようにするのが大変だった。全4巻で599人も登場するのだが、外国語によくあることで人物の呼称が変わるのが厄介なので、人物一覧を作りながら読む。クラーギン公爵家、ベズウーホフ伯爵家、ボルコンスキイ公爵家、ロストフ伯爵家の相関関係を家系図を作って何度もそれを見返しながら読む。こんなことをしたのは源氏物語を読んだ時以来だ。
この作品は、雑誌ロシア報知に連載されたもので、連載時期が1865〜1869年とドストエフスキーの「罪と罰」の連載(1866年1〜12月)と時期を同じくしている。何て豪華な連載を持っていた雑誌だったのだろうと驚く(すごいことだと思って、一人で興奮して細君に話したのだが、あ、そう的な返事だった)。舞台は同じペテルブルクから始まるのだが、描かれている時代は50年くらいこちらの方が前の設定になっている。
 1805年8月のペテルブルグとモスクワから始まり、ナポレオンのロシア侵攻という歴史を扱ったものなのだが、随所に聖書的なものが見え隠れする。メインの登場人物を通して語られる聖書的な箇所を数えながら読むのも楽しみのうちの一つだった。
例えばこんな一節

「アンドレイはベッドの中で神の愛を考えていた。何かの代償に、何かのために、あるいは何かの理由で愛するような、そういう愛ではない。死に瀕しながら、憎むべき敵を見て、なおかつ愛した時に、初めて経験したあの愛だ。魂の本質そのものであるような、そしてその対象を必要としないような、そういう愛の感情。隣人を愛し、敵を愛する、すべてを愛することは――あらゆる姿で現れる神を愛することだ。親しい人間を愛することは人間の愛でできるが、しかし敵を愛することは神の愛を持ってしかできぬ。だからこそ、あの男を愛していることを感じたとき、おれはいいしれぬ喜びを感じたのだ。人間の愛で愛していれば、愛から憎悪に移ることがある。だが神の愛が変わることはありえない。何ものも、死も、ぜったいにそれを破ることはできぬ。これは魂の本質なのだ。」(新潮文庫 工藤精一郎訳)

「何ゆえにこれが起こり、これなる力がこれらの事件を生み出したのか。いかなる力が諸民族を動かすのか」、と歴史を分析しているのだが、「そこには人類の事業への神の参加を仮定しない限り、我々は権力を事件の原因と認めることはできない」、という意見の表明もある。

マサイの読書の楽しみは、いろいろな作家が聖書に書かれていることを伝えようとして、御言葉そのままを文中に用いたり、またプロットに盛り込んだりしたものを、その作品の中に見つけることにある。偉大な作品と言われた数々の大作が、表面上には出てこないが実は神様の愛を語っているものだったりする。クリスチャンでないと残念ながらそうとは気づかずに読み終えてしまうものがある。それを見つけて、作品の根底に潜むもの、作者の世界観、作者の真の創作意図を知るのは大いなる喜びである。あぁここにも神様がいる、これも神様のことでしょ、分かりましたよ、アーメン、と共感し、作者をより身近に感じることができる。これはクリスチャンの特権である。


エレミア書 15:16
私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、【主】よ。私にはあなたの名がつけられているからです。

今回は読み終えられて良かった。作中ニコライは、「重要な蔵書をつくって、買い集めた本は全部読むことを主義としていた。」とある。はい、買った本は必ず読みます。