「我々には感謝しかない」


最近幸せについてよく考える。何をもって幸せだというのかは様々あるだろうが、マサイは家族で共有できる時間があることを楽しく幸せに感じる。家族に愛され、神様に愛されているとういことを実感できるからかもしれない。幸せを感じる時はまず神様に感謝をする。この幸せを与えてくださった神様に感謝。
世の中には感謝なんか絶対にしたくない、感謝なんか出来ないという人がいるらしい。愛されて育っていないことが原因のようだ。そんな話をしていた時に息子は、スポーツ選手として学校生活を送っている我々は感謝しかない、という意見だった。同じ目標を持ち、同じ方向を向いて一緒に戦ってきたメンバーを持っているからかもしれない。仲間同士互いに感謝、導いてくれる人に感謝、サポートしてくれる人に感謝、応援してくれる人に感謝という意味だろう。
家族はたとえ一緒にいてもそれぞれが別々な方向を見ていたらそうは思えない。逆に離れていようと同じ方向を向いていればひとつ心になれる。お子さんが良い子なのは、家族がみんなで水泳を頑張っている姿を応援しているからなのでしょうね、と小学校の担任複数に言われたことがある。
早朝真っ暗なうちに起きて弁当を作り、選手を集合場所に送って行った後、ビデオを持って会場に駆けつけ、ほぼ一日プールのスタンドに座って過ごし、大会後は疲れた選手を連れて帰る、という生活を9年間続けてきた。スクール生の時から数えると14年間だ。今息子が泳いでいるジュニアの大会はくくりが高校生までなので、3月にはそこを卒業することになる。4月からは大学生として泳ぎ続けることになった。スイミングクラブ中心の練習も卒業して大学での練習になる。今度は寮生活。親元からではなく、自分の部屋から出発して、大会を終えたあと自分の部屋に帰っていく。
この大学入試にあたっては、我々の人知をはるかに超えた、主の計り知れないご計画を知ることになった。主がいかに息子のために最善のご計画を持たれているのか、それがどこから始まってどうつながってそうなったのかに気づいて驚いた。夏以来我々に起こったことについて、細君と2人で何度もよく考えて話し合った。もしあの時、こうだったらどうなっていたのか。それは息子にとって幸せなことだったのか。その方向を選んだ場合、当初は良いが、後で苦しむことにならなかったのか。そこに進んだ場合、本当にやりたいことができるのか。あの時、これには絶対意味がある筈だ、主の意思が働いているはずだと考えたことの意味はここにつながっていたのか、などなど。考えれば考えるほど、この計画は祝福に溢れ、我々がおごり高ぶることなく感謝を知るように導かれている。これからそれがますます目の前に表されてくることだろう。その素晴らしさに驚き、ただ感謝するばかりだった。
主に祝福され導かれていると分かるから、息子はこれからの生活に期待をし、不安もなく喜んで出発して行こうとしている。息子には神様に感謝する心を忘れないでいて欲しい。そして離れていようと家族で常に同じ方向を向いていようと思う。あらゆることに神様のご意志が働いているのだから、神様の方を向いていればどこにいようと、皆で同じ方向を向くことができる。これからも一生を導いてくださる主に感謝します。

イザヤ書
55:8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。──【主】の御告げ──
55:9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
55:10 雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。
55:11 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。
55:12 まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。
55:13 いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは【主】の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」