「やっと突き抜けました」


 息子は大学受験を控えた高校3年生。高校生活も早いものであと半年だ。自分の時も早く感じたが、息子の高校生活はあっという間に終わりに近づいている。
 夜、水泳のトレーニングが終わって帰ろうとしたところで、迎えに来た仲間の親からどこの大学へ行くのかを聞かれたという。決まっていないし決めてもいないものを答えようがないので、そのまま答えておいたという。人の動向が気になる時期なのかもしれない。確かに学校には最終志望校を書いた書類を提出したりしている。実家でもそういう話題が出ているらしい。孫がどこの大学を目指しているのかを息子に聞くように母親からせっつかれて困る、というメールが父親から入ってきた。
 細君とは毎日、神様の御心にかなった、息子にとって最適な環境の大学へ進学させて下さい。そこで良い先生と良い仲間に恵まれて、ますます伸び成長するような大学へ行かせてくださいと祈り続けている。何が何でも超有名校に入れてくださいというお願いではなく、御心にかなったとは、神様が息子に持っている計画が示されるところへ導いてくださいという祈りのつもりである。
 本人にとってもそれが一番良いと思う。講義について行かれないようなハイレベルの学校に入っても、本人が苦労するばかりである。ついて行かれなければ結局中退してしまうかもしれない。それも随分辛いことになると思う。息子は大学に行っても泳ぎ続ける意志なのだが、それなら全国トップクラスが集まってくる強豪校が良いのかといえば、これも違う。学校選びを間違えるとレースに出る機会はおろか練習する環境も与えてもらえなくなる。しかし息子のことは神様が一番ご存知である。どこであれ、祈った結果入れた学校なら、そこに神様の導きや計画があると信じるし、そういう学校へは入試から入学までの手続きがスムーズにいくものだと確信している。
 やってはいけないことは、親が世間的な目を気にして、有名校ばかり勧めてプレッシャーをかけること。最初から細君と2人、これは十分に自戒していた。マサイは息子が小学校に入る前から毎日勉強を見てきた。漢字の書き取り、四則演算、100マス計算、ニュースの書き写し、いろいろなドリルを買ってきては毎日丸をつけてあげた。中学に入ったばかりの頃もテストの前には勉強の仕方について教えてあげたつもりである。そういうことがあるので、必要以上の期待をしがちだが、それは親の希望でしかない。マサイの親はその先の就職のことまで心配していた。
 息子の為を思ってのつもりなのだが、親の希望を捨てるのはなかなか難しい。しかしそれではどこが息子の一番幸せに過ごせる場所なのだろうかと考えてみた。細君と話し合って、祈り合って、やっと一つ突き抜けた境地に達することができて、心に余裕が出てきたのはつい最近のことだ。祈って委ねて、もらった結果を最大限喜ぼう、と心から思えるようになった。
 息子の進学先については毎日ずっと祈り続けてきた。恵まれたことに、息子は行く先々で実に良い人間関係が出来上がっている。きっと我々人間の思いをはるかに超えた神様のご計画は素晴らしいに違いない。進学先については神様に委ねて、期待しつつ祈り続けて行こう。入学すれば運動部は寮生活になるだろうから、その前にもっと神様の事を知って、御言葉を蓄えておいて欲しいと思う。

箴言
22:6 若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。

ヨハネの手紙第一
5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
5:15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。