御言葉は時宜にかなって


 我が家の息子もこの4月から高校3年生、受験生になった。3年前は高校受験と水泳の全国大会へ向けての緊張した毎日だったが、また同じような日々がやってきた。大学受験と水泳の全国大会へ向けて、本人は実に頑張っているので、親としては声かけが難しい。月刊マサイの89号にも書いたが、これまで頑張ってきて、今も頑張っているのに、その上もっと頑張れとは言えない。この時期の親の役割は何だろう。
 マサイの受験期はどうだったのか思い出してみる。毎日太宰治を読みふけっていた。共感する度合いがとても大きかったことを覚えている。文庫本で出ているものは夢中になって全て読んだ。しかし面白いことに、大学に入った後は、この世界に全く戻れない。あれほど夢中になったものなのに、何度か読み返そうかと思っても、出来なかった。
 誰でもそうだろうが、この時期不安に襲われるのは、勉強ばかりすることが苦痛だからではない。この辛い時期を耐えさえすれば、明るい未来が待っていると楽観することができないからである。結果次第では苦しみが継続することもある。また考えていたのとは違った出口に出てしまうこともある。人生の大きな岐路に初めてと言って良いほど立った不安なのである。
当の本人が一番大変な時期を通っているということは良く分かるが、実は親も一緒にこの辛い時期を過ごしている。始末の悪いことに、親の方がこの辛さに弱いのかもしれない。やるのは本人であって親ではない。もどかしさの原因は全てここにある。何で親が、と不思議に思われるかもしれない。賛否両論あろうが、マサイには子どもの問題だからと、突き放すことはできない。主の御心にかなった、息子にとって最適な進学先へ導いてください、と祈り続けている。心配するのは信仰が弱いからだと、自分を責めてもみる。
 そんな信仰が試されている時に、信仰の友に教えてもらった聖句が

ローマ人への手紙
4:20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
4:21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
4:22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。

 である。どんなにこの聖句に救われたことか。随分気持ちが楽になった。細君と2013年我が家のテーマ聖句にしようと話し、あちこちに掲示をしたり、PCのデスクトップに貼り付けておいたりした。御言葉は時宜にかなって与えられるものであるということと、その力はすごいなということを、改めて感じた。この聖句を教えてくださったSさんに深く感謝します。
高校の3年間は実に短く感じる。実質学校へ行くのは後半年か。親の信仰が試される日々でもある。今まで真剣に子育てには向き合って来たつもりであるが、そのゴールも近いという思いもある。大きな節目でもある。マサイが今一番やらなければならないのは、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰をますます強くして、神様に栄光を帰し、神様には約束されたことを成就する力があることを堅く信じることだ。これからも親の一番重要や役目である祈ることに専念しようと思う。

ヤコブの手紙
1:3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

月刊マサイで引用している聖書本文は、新改訳聖書第三版(©新日本聖書刊行会)を使用しています。
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