歴史ものにはまっています


2010年頃から司馬遼太郎にはまっている。きっかけは細君が美容院で教えてもらってきた「燃えよ剣」。髪の毛を切ってもらいながらの話で、「(尾田栄一郎の)ワンピースが好きなら大丈夫、とにかく格好良い」と教えてもらってきた。マサイは今まであらゆるジャンルを読んできたつもりだが、日本の歴史ものを読んだことがない。良い機会なので、早速読み始めた。時代は江戸末期、新撰組の物語である。

昔々大学受験で社会は日本史を選択したのだが、実は幕末史はあまり得意ではない。勉強法にもよるのだが、縄文時代から意気込んで始めているものだから、戦国時代までは気力が充実していても、江戸も末期になると息切れがして、ちょん髷がザン切り頭になった頃にはすっかり記憶容量オーバーになって、回線がショートしていた。丁度人がいっぱい出てくるし、混乱するところなのだ。TVの時代劇もあまり見ないので、新撰組に近藤勇、土方歳三、沖田総司がいるのは知っていてもが、それがどういう役割を日本史上でしたのかは説明ができなかった。だから読んでみて新たな発見がたくさんあって良い勉強になったし、誰彼構わず新撰組について話したいと思うほど気分が高揚した。

次に読んだのが「竜馬がゆく」。新撰組とは逆の立場から幕末の日本を読むことができた。丁度NHKの大河ドラマで龍馬伝をやっていたが、見てしまうとTVの役者の印象で読んでしまうので、あえて見ずにいた。そして土佐藩坂本龍馬は・・・、とここで龍馬を語ろうとすると、熱く紙数を気にせずに語れるほどにはまってしまった。新撰組以上と言っていい。苦手な幕末がすんなりと頭に入ってきた。維新に向けてこんな大きな思惑がぶつかり合っていたのかと感動した。日本の歴史を回天させたことについて身震いを覚え、幕末について熱く語り合いたくなった。

この後「坂の上の雲」を読み、続けて源平の時代から戦国時代へ、明治維新後の組国期へと司馬遼ばかり読んでいる。元来読むのは好きなのだが、こんなに読み始めたら止まらないというのも久しい。

この司馬遼ワールドを我が家に持ち込んだ細君は、マサイに続いて「燃えよ剣」を読み、「竜馬がゆく」も読んだ。今は「坂の上の雲」を読んでいる。で、今の政治の基礎は歴史上のどこにあるのか、開国へ向けての激動の日本がどうなっていたか、土佐と長州と薩摩が果たした役割は、などと2人で熱く食卓で語り合っている。細君は今の県名よりも、藩名の方が分かりやすいという。

読むばかりではなく、息子の地方大会で訪れた地では、史跡巡りをしている。大阪で司馬遼太郎記念館へ行き、京都で龍馬終焉の地を訪ね、薩長同盟締結後襲われた寺田屋から逃げた足取りを伏見で追ってみたりした。時には古地図を広げて、龍馬の江戸での足取りをなぞり、いつかは龍馬が育った土佐高知を訪ねようと細君と話している。

江戸時代1836年に生まれ、1867年まで激動の時代を駆け抜けて行った歴史上の人物龍馬は、これまで何人かの作家の作品によって現代に蘇っている。今でもその作品を通じて、新たに龍馬を知る人は増えていて、読む者をここまで夢中にさせてくれる。一度その魅力にはまってしまうと、より知りたくなり、活動の地を巡礼し、思いを同じくする人と熱く語り合うほどだ。

こう考えてみると、作家の持つ役割は大きい。司馬遼太郎が書かなかったら、完全に歴史の闇に埋もれてしまったであろう人間は何人もいる。それを、後世いつまでも語り継がれるほどにしたのである。作品によっていつまでもその功績は広く人に知られることになるし、熱狂的なファンは、本が読まれ続ける限り増え続けていく。そして夢中になったファンは、それを熱く語り、回りに広めていく。

こう考えていて、ふとこれを通してこう言われたような気がした。歴史小説はあくまでもフィクションであるので、全てが史実だと信じてしまうわけにはいかないが、我々の読む聖書は歴史的事実で絶対真理である。フィクションがこれだけのものを生むなら、本物の持つ力はもっと大きい。その聖書を通じて2000年超前のイエス様は今、我々の眼前にある。そして我々はその一言一言に夢中になり、思いを熱くしている。我々がそれを広め、熱く語れば、イエス様の熱狂的なファンをいつの時代にも作り続けていくことができる。それが我々の役割である、と。

使徒の手紙 8:29〜35
御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」と言われた。
そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか」と言った。
すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と言った。そして、馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。
彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。
彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
宦官はピリポに向かって言った。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。

月刊マサイで引用している聖書本文は、新改訳聖書第三版(©新日本聖書刊行会)を使用しています。
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