神様の贈物


マサイの家では、毎年細君が居間にクリスマスツリーを飾ってくれる。細君が仕事をしていた時に外国で買い集めたオーナメントが緑の枝にぶらさがり、愛嬌のある表情を見せてくれる。飾り付が実に可愛らしく、家中が楽しい雰囲気になる。

この根元にクリスマスプレゼントが置かれていく。買ってきた人は、そうっと置いていくので、それを見つけるのは大きな喜びである。ある日気づくと、クリスマスカードや、クリスマスラッピングされたものが置いてある。我が家のルールはクリスマスまで、これを触ったり、中身を覗いたり、匂いを嗅いだりすることを禁じている。ひたすらクリスマスまで、外見から中を想像して楽しむ。貰う方も楽しいが、買ってきた方もそうしてツリーの前にしゃがんでじっと見ている皆の姿を見るのは楽しい。

マサイは妻子に買うものをずいぶん前から考えている。マサイ家のルールその2。クリスマス前は、自分のものであっても、買いたいものは、全て申告すること。プレゼントは大物ばかりとは限らない。欲しがっているもの、欲しいが自分で買うよりもらうと嬉しいもの、いろいろある。1年のうちに会話の端々から情報を貯めておくので、うっかり同じものを買ってしまうことも考えられる。プレゼントと何気なく買ってきたものがバッティングすることを防ぐためのルールだ。

今年もまず細君がプレゼントを置いた。外見からは全く想像がつかない。あれかな、これかな、買いに行ったのはあの日のはずだから、と勝手に想像力を働かせる。細君に探りを入れてみるが、なかなか教えてくれない。息子へのプレゼントの場合は、息子が喜ぶものを選ぶので、自ずと似たようなものを買ってくる場合がある。そこが重ならないようにするのは難しいが、それを考えるのも楽しい時だ。

会社の帰りに買いに行くのだが、2人の喜ぶ顔を思い浮かべながら選び、ラッピングしてもらう。持ち帰って玄関を入る時には、細君に見つからないようにし、しばらく隠しておく。ある日突然ツリーの下にプレゼントが積んである、というサンタが夜やってきたような形をとるためだ。あ、プレゼントが増えてる、と喜ぶのを見てニンマリしている。

そんな数を増していくツリーの根元の派手な包装をじっと見ては中身を想像している。ひとつ並べると、またもっと喜ばせたくなって、買いに行く。高価なものばかりではないので、ラッピングをしてくれないところもある。そういうものは他のプレゼントの後ろに隠しておくのだが、息子は目ざとく見つけて、その外見だけから見事に中身を(2つ入っていたのだが、その2つとも)言い当てた。

細君曰く、プレゼントは渡す瞬間だけではなくて、選ぶ時から、渡す時まで、ずっと相手のことだけを考えているから、その間の分、愛情がこもっているのだという。確かに顔を思い浮かべ、開けた時の笑顔を想像し、と相手のことを考えている時間は長い。ラッピングの中には、品物と一緒に愛情もいっぱい入っている。

さてやっとクリスマス。イエス様の誕生日を家族3人で祝う。テーブルを囲み、聖書を読んで、我々のために生まれてきてくださったことを感謝する。お祈りをし、細君が特別に作ってくれたクリスマスディナーを食べるのだが、食後はいよいよプレゼント開封タイム。ツリーの下に移動して、一人ずつ、1個ずつ、開けていく。まずは息子から。ママとパパからたくさんのプレゼントがある。マサイも細君もお互いに何を息子に買って来たか知らないので、一緒にドキドキしながら開けるのを待っている。息子は手にとって感触を確かめ、重さを測って中身を想像してから開けていく。笑顔がぱっと輝く。欲しかったもの、意外なもの、ずいぶん昔に欲しいと言ったことはあるが、よく覚えていたね、というもの、なかなか見つからないと言っていたのに、よく見つけたね、というものが袋の中から出てくる。次に細君が開け、マサイが開ける。幸福な時間、渡した方も笑顔になる。神様に感謝をする時間でもあった。

我々は神様からたくさんの贈り物をいただいている。神様は渡す前から何をあげようか考え、我々個人個人のために選び、贈り、それを喜ぶ姿を見て、同じように喜んでくださる。その間、我々一人ひとりのことを思っていてくださるのだ。神様からの贈り物について考える時、神様が実に近くなる。神様と一対一になる瞬間であり、祝福された、実に幸福な時間である。

ヤコブへの手紙 1:17,18
すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。
父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。

イザヤ書 9:6
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

月刊マサイで引用している聖書本文は、新改訳聖書第三版(©新日本聖書刊行会)を使用しています。
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