人を教える力


最近出エジプト記を読んでいた。モーセが2度目にシナイ山から2枚のあかしの石の板を持って降りてきた箇所である。モーセは主がシナイ山で彼に告げられたことを、ことごとくイスラエル人全部に命じた。

出エジプト記35:10
あなたがたのうちの心に知恵のある者は、みな来て、【主】が命じられたものをすべて造らなければならない。

造る物の内容は・・・幕屋、その天幕、そのおおい、その留め金、その板、その横木、その柱と、その台座、箱、その棒、『贖いのふた』とおおいの垂れ幕、机、その棒とそのすべての用具と供えのパン、 燈火のための燭台と、その用器とともしび皿と、燈火用の油、香の壇と、その棒とそそぎの油とかおりの高い香と幕屋の入口につける入口の垂れ幕、全焼のいけにえの祭壇とそれに付属する青銅の格子、その棒とそのすべての用具、洗盤と、その台、庭の掛け幕、その柱とその台座と庭の門の垂れ幕、幕屋の釘と庭の釘と、そのひも、祭司アロンの聖なる装束と、祭司として仕える彼の子らの装束。

随分細かなことなので驚く。神様はこれを作る知恵を人間に与えた。

出エジプト記35:30〜33
モーセはイスラエル人に言った。「見よ。【主】はユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し出し、
彼に、知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たされた。
それは彼が金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、
はめ込みの宝石を彫刻し、木を彫刻し、あらゆる設計的な仕事をさせるためである。

しかしそれだけでは、この大事な仕事は広がらない。

出エジプト記35:34,35
また、彼の心に人を教える力を授けられた。彼とダン部族のアヒサマクの子オホリアブとに、そうされた。
主は彼らをすぐれた知恵で満たされた。それは彼らが、あらゆる仕事と巧みな設計をなす者として、彫刻する者、設計する者、および、青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繍する者、また機織りする者の仕事を成し遂げるためである。

神様は人の心に教える力を授けられた。そう、重要な仕事をする者は、それを人に教える、という重要な役割も担っているのだ。

最近仕事が忙しい。7月頭が特に忙しかった。働き始めて30年、こんなに忙しい毎日があったろうかと思うほど、いくら頭を高速回転させても終わらない。このまま全部放り出して帰ろうかと思ったり、30年吸わずにいたタバコが吸いたくなったり、脳みそがオーバーヒートして、耳の穴から煙が出ているのではないかとも思ったりした日々であった。

マサイは一人で仕事をしているのではなく、一応何人かを統率している。野球で言うところのプレイイングマネジャーのような立場なので、自分でも仕事を持っている。What Would Jesus Do?と自問自答しながら、日々まとめているつもりである。

仕事に速さとか正確さを求めるのは当然なのだが、最近の人は仕事に対してマサイがイメージしているところと違うものを持っているらしい。いくら説明をしても、良く分かってもらえない。何のためにこれをやっているかを考えないので、言われたことはやる。しかし言われたことも毎日同じことをしていると、飽きてくるらしい。当然言われたこと以外にはしない。あいた時間に自分から工夫をして何か生み出そうとすることはない。時々任せた仕事を確認してみると、とんでもないことになっていたりするので驚いてしまう。

期待する方が間違っているのだろうか。自分はそうではなかったという自信はある。しかしマサイの教え方が悪いというのが一番の原因である。自分は大抵のことは誰に言われるのでもなく、効率的に段取りよくやってきたので、人にもそうあることを無言で要求しているのかもしれない。だから懇切丁寧に教え続けるということができない。教えるというのは苦手だし、人に任せるということはもっと苦手である。

基本的に任せている仕事は全てマサイがやり方を考えたものであるから、自分でやった方が誰よりも早く、効率よくこなすことができる。だから危険な場合は、これがいけないのだろうが、任せた仕事を取り上げる。任せたマサイが悪かったということで、感情的には言わずにうまく取り上げるのだが、マサイがやれば、正確に早く終わる。請求や金銭が関わってくることであるので、放ってはおけないのである。しかし取り上げられても最近の人は気にならないらしい。

ということで、マサイの仕事は全然減らない。減らないどころか増えていく。だから忙しい。世のたくさんの部下を抱えている管理職の皆さん、社長さんを尊敬したくなる。任せることができると言うのはすごいことだと思う。自分の仕事を抱えて離さない、という意識は微塵もない。出来れば、いろいろなことを人に任せたい。安心して任せることが出来れば、突発的な事態が出たいしても休むことができるし、どんなに楽なのだろうかと考える。

そんな時にこの聖句を読んだ。神様は「人を教える力」を授けられた。仕事についての知恵と知識に加えてこれを与えられている。マサイの今の仕事も神様から与えられた大切なものである。それに対して、マサイは人に教えるという重要な役割を果たしているのだろうか、とゆっくり考えた。ここでこの聖句が与えられたことには大きな意味があるに違いない。これからはこの今迄苦手としていた「人に教える」、という力を祈り求めながら、神様から与えられた役割として励んでいってみよう。 

 

月刊マサイで引用している聖書本文は、新改訳聖書第三版(©新日本聖書刊行会)を使用しています。
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