水の事故に遭遇したら


サーファーのための波情報をWEBで見ていると、海岸線に海の家が建ち始めている。海の色もキラキラしてきた。もうすぐそこまで夏が来ている。反面、水の事故が報道される季節になった

そんな時に活躍してくれるのが、ライフセーバーである。ライフセーバーといえば、黄色いTシャツに赤いダイナカットの水着、赤と黄色の水泳帽が印象的である。ハワイにも一段高いポジションから海岸線一帯を双眼鏡で監視している屈強な若者たちがいるが、彼らはマリンレジャーの事故から人々を守る大切な救助活動についてくれている。

息子の先輩達の中にはライフセーバーを目指す人が出てきた。水泳経験者なので、すぐになれるだろうと考える人もいるかもしれない。しかしプールで人より速く泳げるのと、救助は違うとマサイは考える。彼らは速く泳ぐことだけを目的とするのではなくて、救助の専門知識を学び、常にそのための鍛錬をしている。水の事故から人命を救う専門家であるのだ。

色々な救助法を調べてみると、基本的には大体同じことが書いてある。水難救助は、水難者も救助者も生還することが大原則である。陸の上から水に入らずに直接救助できれば、それが一番良い。泳いで救助に向かうのは最後の手段であるという。

衣服を着たまま水中に入った場合、その衣服の重さのため、泳ぐことが困難になる。緊急時の着衣水泳を近所の小学校では教えていたが、残念ながら息子の小学校ではその講習がなかった。着衣のままの方が浮きやすいらしいが、浮きやすいのと泳ぎやすいのは全く違う。テレビや映画で見るように格好良くは行かない。

救助する場合は、まず浮くものを探すこと。とにかく道具なしでは飛び込んではいけない、という。息子の室内プールでの水泳競技会にも、ライフセーバーが救命道具を持ってプールサイドからその試合を見守っている。日本のトップを目指す選手達だから救助は必要ない、ということはないのだ。

いざという時、救助は背後からという大原則は分かっていても、溺れている人はパニック状態にある。誰か助けに来てくれたと分かれば、必死になってそちらへしがみついてくるだろう。こうなると両者ともに危険な状態に陥るのは避けられない。水難者が救助者を素直に自分の背後に回らせて力を抜く、などという冷静な対応が出来る人は数少ないに違いない。

もし溺れている人を見つけたらどうしたら良いか。息子に子どもの時から言い聞かせていることがある。マサイは飛び込んで助けに行ってはいけない、と教えてきた。仲間と遊んでいる時に発見した場合でも、まずしなければいけないことは、近くの大人に知らせる事。そして救助の専門家を呼んでもらう事である。対象が子どもであれ大人であれ、それは変わらない。相手が子どもだから大丈夫という事は決してない。一人で飛び込んで救助に行くことの危険性をくどくどと教えてきた。

水泳選手の息子は、人より泳げるという理由で、回りは抜き手を切って救助に向かう事を期待するだろう。行かないことに対して非難されるかもしれない。しかしそれでも泳げるのと救助出来るということは違うのだ。子どもを助けに行った親が、逆に自分も溺れてしまったというニュースも良く聞く。水中では体が思うようには動かない。どれだけ鍛錬している者でも同じ。水中救助の危険性を考えた上で、飛び込まない勇気が必要である。

だから溺れている人を発見した場合、決して泳げる人をけしかけて飛び込ませてはいけない。それだけは気を付けよう。マリンレジャーはとても楽しい。神様が作ってくれた自然と一体になれる瞬間でもある。そんな楽しい時をだいなしにしないように、水の事故には十分注意をして下さい。自然の力は思ったより大きいです。皆さんがこの夏、水の事故に合わないようにお祈りしています。 

詩篇 95:1〜6
さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。
感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。
主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。
地の深みは主の御手のうちにあり、山々の頂も主のものである。
海は主のもの。主がそれを造られた。陸地も主の御手が造られた。
来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。

月刊マサイで引用している聖書本文は、新改訳聖書第三版(©新日本聖書刊行会)を使用しています。
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