感謝、悔い改め、賛美


近所のスーパーに買い物に行くようになった。昔はスーパーの冷凍食品売り場の冷気や混雑が嫌いで、結婚してしばらくは細君のお供もしたことがない。それでも近年は車で近所の大型スーパーに行くのに付き合うようになった。

最近は一人でトートバックを下げて買い物に行く。買い物というより、お使いに近い。細君に買い物リストを書いてもらって、スーパーのカードを持って一人で行く。銀行引き落としのクレジットカードなので、財布すら持たない。カード一枚だけをポケットに入れて行くのは、まさにお使いの気分。

今後も60才定年のままだとすると、それまであと8年。定年退職したら、こういうのが日常になるのだろうな、と考えながら歩いて行く。 偉そうに聞こえるかもしればいが、売り場で野菜の目利きができるわけではない。値段の目安も細君に書いてもらって、この値段以上だったら高いから買ってこないようにと指示を受けている。それでも野菜は一応ひっくり返してみて、傷んでいないかどうかくらいはチェックする。しかしもやしと豆もやしの区別がつかなかったりはする。リストにあるものがちょうど特売値段だったりすると、自分のお手柄のように思えて、妙に嬉しい。

1品くらいは自分の好きなものをカゴに追加する。お駄賃を喜ぶ子どものようだ。レジで買い物袋不要のポイントを付けてもらって、自分で詰めて帰ってくる。

マサイの父ももっぱら買い物担当であるという。母親よりはまだ足がしっかりしているので、一人で近所のスーパーに買出しに行ったり、もっと足を伸ばして大型スーパーに行き、宅配を頼んで帰ってきたりするという。運動がてら行くのには良いようだ。昔はそんなことをする人ではなかったのに、今は生き生きと買い物に出かけているらしい。その姿が目に浮かぶ。

最近の朝刊の生活面に「夫婦力を磨く」という記事があった。55プラスというコーナーなので、そろそろマサイも近づいている。しかし記事内容は、マサイにとって全く人ごとに思える。世の一般家庭はこんなものなのかと、不思議に思う。

55才以上のというのは、子育てが終わって、再び新婚時代のように夫婦2人きりになる年齢という設定なのだろう。まして定年退職をすれば、離れていた夫婦の距離がぐっと縮まる。そんな世代に対するアドバイスが書いてある。

まず大きな課題は、夫婦関係を回復させる、とある。これは最初から崩壊の危機にあることが前提であるらしい。男は家族のためにお金を稼いでくるのだ、男は仕事、女は家庭、というのが美徳だ、という前時代の間違った考えが、会話がない家庭を生み、熟年離婚の危機を育ててきた。内容から行くと、夫は妻に三下り半を突き付けられる弱い立場であるらしい。定年直前は、夫婦のあり方を改めて考える時期であるようだ。

連載の2回目にあったのは、「ありがとう」、「ごめんなさい」、「愛している」と言おう、というアドバイス。心がこもっていなくても、とにかく言ってみよう、とはいただけない。有難うは「感謝」であり、ごめんなさいは「罪の悔い改め」、愛しているは「主を賛美」することである。クリスチャンにとって当たり前のことだ。

コロサイ人への手紙 3:23
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。

 また相手の話をよく聞く。共感することが大切、とあった。神様の話に耳を澄ませて傾けるのがクリスチャンだ。日頃からお互いによく話す時間を持つことが大切であると思う。マサイは細君と話しをするのが大好きだ。だから毎日仕事が終わると、家に飛んで帰ってくる。今日あった事、考えた事、ニュースについてなど、いろいろ話している時が何より楽しい。

マサイと細君は、結婚する前、いつもデートをしていたクリスチャンが経営する喫茶店で、昼から夜の23時までずっと喋っていたことがある。牧師がそれを聞いて、それだけずっと楽しく喋っていられるのなら、結婚した後も大丈夫だ、と言ったという話がある。

この新聞記事を読んだ55歳前後の人たちはどう感じるのだろう。そんなことは出来ないと思うのだろうか。大好きな女性と結婚をしていながら、その女性が待つ家になかなか帰らないというのはマサイには信じられない。仕事での付き合いを口実に、帰りたがらない男性が実際多すぎるように思う。
だからこの聖句をアドバイスに是非付け加えたい。

ルカの福音書 6:31
自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。

 定年退職をした後は、会社で仕事をしていた時間をフルに教会活動に充てたいと考えているのだが、年金支給開始がどうなるか分からないので、いつになるか分からない。しかし定年後は、愛する女性である細君とずっと一緒にいられるのは確実だ。これは実に楽しみである。

テモテへの手紙第一 3:5
──自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう──

 

月刊マサイで引用している聖書本文は、新改訳聖書第三版(©新日本聖書刊行会)を使用しています。
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