本当に


「本当に、おめでとうございました」箱根駅伝の優勝チームへのインタビューをアナウンサーがこの言葉で締めくくっていた。マサイはちょっと前からこの「本当に」が気になって仕方がない。

気になりだした時には、耳に付くほどあちこちで聞くようになったし、何でもかんでもに使われているように思えてきた。話の頭にも、え〜とか、あ〜とか言う代わりに「本当に〜」と入ってくる。気がつけば自分でも使っている。意識しなくてもぽんっと口をついて出る。本来の意味以外に使っているとしか思えない。

この「本当に」もそうだが、多用されて気に障るものに、「ホントに、ホントに」がある。「ほんとう」ですらない。「う」が欠落している。ちゃんと通じているから良いじゃないかと言われそうだが、気になる年齢なのだ。

「本当に」を調べてみると、「実に」とか「全く」という意味の副詞で、副詞とは、主として、それだけで下に来る用語を修飾するもの。ということは、「実に」とか「全く」を前に付けてみて、変だなと思えたら、使用法が間違っている、ということになる。

ルカの福音書 23:47節
この出来事を見た百人隊長は、神をほめたたえ、「ほんとうに、この人は正しい方であった」と言った。

「実に、この人は正しい方であった」、「全く、この人は正しい方であった」と何ら違和感なく言い換えられる。

これに対し、現在頻繁に使われている「ホントに」は、別の意味を持っているようである。すなわち後ろに来る言葉をより強調する役目を果たしている。英語で言うと、moreかthe mostといったところか、比較級より最上級の方が近いかもしれない。「本当に有難う」は有難うより強い気持ちの表れで、more「ホントに有難う」、the most「ホントに、ホントに有難う」というニュアンスか。残念ながら「実に有難う」「全く有難う」というのは昔でも聞いたことがない。

今までこういう時には何と言っていたのだろう。「どうも有難う」という言葉がちゃんとあるはずだ。しかしこの場合も「ホントにどうも有難う」と変化していくのか。この「ホントに」は万能な修飾語なのかもしれない。でもあくまで口語であって、文章で残すには違うように思える。

ひねくれて、本当じゃない有難うって何?と考えてみたりする。「本当」の対極にあるのは「嘘」である。「本当に」を付けなければいけないとしたら、付かない有難うは、嘘なの?

同じ言葉を使うものでもっと気になるのは、「ホントですか?」と返答されること。こちらも「う」が欠落している。そして語尾がちょっと上がる。癖になっている人がいるようで、「そうですか」「は〜なるほど」ではなく、何を言っても「ホントですか?」と返されるのには閉口する。これは意外なことを聞いて驚いた、ということの表現だろう。いや、そこまで深い意味はなく、単なる合いの手程度なのかもしれない。でもその語をあまり繰り返されると、こちらの言ったことを疑われているように聞こえる。であるから、「ホントですか?」と言われる度に「本当です」と答えるようにしている。「本当のことしか言いません」、とさらに切り替えすと、相手は大抵きょとんとする。返答を要しない言葉なのかもしれない。

これは仲間内の会話で、「マジ?」と昔言っていたのと同じで、目上の人にこう言うわけにはいかないので、それを丁寧に言っているつもりなのか。確かに「マジ?」と同じように軽い言葉だ。英語で言うならばreally?で、昔は「そうなのですか」と言っていたのだろう。

いずれにしても両方とも多用されるのが耳につくので、好きになれない。気にしなければ何の問題もない事なのであろう。日本語の破壊だとまでは言わないが、ある程度の年齢になると、大人として、正しい日本語が使いたくなるものなのだ。マサイもそういう年齢になったのであろう。うるさい親父、と笑ってもらえれば、実に有難い。

テサロニケ人への手紙第一 5:21節
しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。

ヨハネの手紙第三 1:1
長老から、愛するガイオへ。私はあなたをほんとうに愛しています。

月刊マサイで引用している聖書本文は、新改訳聖書第三版(©新日本聖書刊行会)を使用しています。
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