年頭の決意


21世紀の幕開けは強風吹きすさぶ正月だった。妻子とカイトを持って三浦海岸に行く。凧上げをした事のない息子でも上がることはものすごく上がったが、糸で手が切れそうなくらい引っ張られた。妻子ともに掌を糸で負傷する。

 12月31日と1月1日というのは、毎日のつながりの中では何ら変わりのない同じ1日なのだが、時計の針が12時 を回って1日になると、一年かかって積み上げてきたものがリセットボタンを押されて消え去り、新しい年がまたゼロからスタートする、といった不思議なこと が起る。

 大晦日は日曜日だったので、教会で午前中を過ごしたが、その午後とお正月は実家の家族と過ごす。何をするわけでも ない。リセットボタンを押したばかりなので、何をいつまでにしなければいけないということもない。こんなにのんびりとしていて良いのか、と思いつつ、今年 の抱負などを考える。

 年初にあたって一年の計画などを立てるものだが、人によっては折角立てた完璧な計画も、この怠惰な正月休みに阻まれて早速挫折してしまうケースが多い。その最たる例が、日記をつけよう、ジョギングをしよう、という毎日こつこつするタイプのもの。

 折角リセットされたのだから、今年こそ「新たに」何かをやろう、と思いたくなる。また出来る気がする。それが正月の不思議。出来る出来ないにかかわらず、この新たな決意が儀式のように毎年繰り返される。

 妻の幼なじみが朝日新聞に連載している「ネオ家事入門」には、年頭のオリジナル儀式として、家族全員の下着とパ ジャマを新調する、という話しが載っていた。その他、家族で写真を撮る、今年の抱負を色紙に書く、など年初の決意の程が形として現れている。行動で年が改 まった事を実感するのも面白い。

 マサイの今年の抱負は、「御言葉を蓄える」。日記も毎日つけているし、スポーツクラブも6年続いている。こつこつ やるのは苦にならない性格である。年初より一年かけて聖書を通読するのが教会の目標。毎日旧約聖書と新約聖書、詩篇、箴言を同時に少しづつ読み進む方式 で、一年終わると全巻通読、というスケジュールになっている。結構楽しいもので、通勤電車の中で、気になった箇所に線を引きながら読んでいる。

 この通読も、絶対に無理だと最初から諦める人もいる。性格的に無理だという。毎日決められたことを「やらなければいけない」と縛られるようでいやらしい。その他、決められた量をこなせない。毎日何かやるのが苦手。やらなければならないという気持ちが強いから一日やらない日があると、その日が重くのしかかってくる。読んでそこからいろいろ考えたりせずに、ただ機械的に読むことになりそう、そこに意義を感じない。

 マサイはポケッとしているので、やりなさい、と言われると「はい」と答えて、それを楽しもうとする。基本的にやることについてはあれこれ考えない。

 私も通読したいという方、連絡いただければ毎日のスケジュール表をお送りします。

キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。ピリピ人への手紙

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