電子書籍


電子書籍という言葉をよく聞くようになった。出版界のみならず新聞業界も、小型の端末が紙の本や新聞紙にとって代わろうとしているので、注目している。

小型端末が普及するまでそれ程流行らないだろうと思って静観していたが、各メーカーがさまざまなサイズのものを出してきた。電車の中でもよく見かけるようになった。スマートフォンの画面で新聞を読んでいる人、もう少し大きめの画面で縦組みの文字を追っている人。興味があるのでついつい覗き込んでしまう。朝の通勤電車の中で新聞を読む人が減ってから随分たつ。本を読む人の数も減った。小型音楽プレーヤーのイヤホンを耳に入れて何かを聞いている人もいるが、携帯や小型のゲーム機をいじる人が増えた。それがまたハードを替えて本や新聞に戻って来るのだろうか。

しかし携帯端末を使っての電子媒体というのはどうもピンとこない。人のを覗き込んでいるばかりでは良く分からないので、自分でも使ってみることにした。早速スマートフォンに小説をダウンロードしてみた。国内外の名作と言われて誰もが知っている作品が50作品、すぐに無料で手に入った。行間、文字サイズ、文字の色、背景の色は自由に設定できる。ルビもちゃんと付いている。まず夏目漱石の「三四郎」を選んだ。21文字8行という設定にすると、全部で1,157ページになった。

この作品は文庫本や全集で3度読んだことがある。最初に読んだのは高校時代だ。当時柔道部に入っていたので、柔道の小説を読みたいと思って選んだ本だ。三四郎を姿三四郎と勘違いして読み始めたのだが、何処まで行っても柔道のシーンが出てこない。そのうちに読み終わってしまった。ここに出てくる小川三四郎は大学生で柔道はしない。読み終わった時にその違いに気付いたのだが、それを機会に三四郎に続く前期三部作を続けて読み、後ほとんどの作品を読んだ。もともと母親が大の漱石ファンで、よく話を聞かされていたのだが、自分でも漱石の文章のテンポが気に入っていたし、旧漢字の入った文章は、字面から時代のイメージが良く読みとれた。

久しぶりでもあったので期待半分、三四郎を小さな画面で読み始める。細君も太宰治の「ヴィヨンの妻」を読み始めた。人差指でめくる動作をして行く。思ったほど読みにくくない。この日本語はこういう時に使うのか、という再発見もあった。1ページにある分量が少ないものだから、どんどんページが進んで行く。読んで行くとどれくらい読み進んだかを%で表示してくれる。縦組みなので、伸ばす棒が片寄っていたり、ルビがずれていたりするのだが、これは愛嬌として許せる。1冊読み終わって、また読んでみようという気になった。

正直最初は馬鹿にしてかかっていた。味わいは本来の本にかなうはずもない。確かにかなわない。字面や行間からにじみ出てくる作家の世界を感じとるまでには至らない。しかし手軽であるし、ストーリーを追うという目的の作品で、本として自分の本棚に並べて取って置く必要がないなら、これで十分に思える。また紙媒体は常に何冊も持ち歩くことはできないし、重い本を持ち歩くのは辛いが、電子版なら作品を常に持ち歩いて、すぐにチェックすることができる。鞄も重くならない。利点はこれからどんどん増えてきそうだ。

その利点を一番感じるのは聖書である。マサイの端末は新改訳が取り込めないので、口語訳を入れておいた。長年使っている聖書は旧約を読みたいと思っても、電車の中で読むには厚いし、毎日持ち歩くのに重いしで、いつも残念に思っていた。新改訳聖書を4分冊にした文庫版も出たのでこれも有難く思っていたが、最近腰を又痛めたので、出来れば通勤鞄は重くない方が良い。より軽くなるのはもっと有難い。それで電子版は便利に使えている。紙の聖書はなくてならないものだが、常に携帯できる聖書はより御言葉に接する機会を増やしてくれる。

ヨシュア記 1:8
この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。


月刊マサイで引用している聖書本文は、新改訳聖書第三版(©新日本聖書刊行会)を使用しています。
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