義務教育の終わり


3月11日にあった東日本大震災で被害に合われた方にお見舞いを申し上げます。また復興に全力を挙げている方、関係各位のために感謝と敬意を表します。皆さまのため主の人知を超えた計りしれない力が働くように日々お祈りをしています。

何故この地方が、何故今?という疑問が沸いてくると思います。マサイは震源地から随分離れた東京都心にいましたが、あの瞬間の、あの夜の光景は忘れることができません。それはかつて経験したことのないものでした。まず真っ先に家族の安否を確認し、家族に会いたいという気持ちで夜の道を歩き続けました。

この月刊マサイは何度も書きかけたのですが、何を書いても被害に合われた方に失礼にあたるように思えて、随分悩みました。しかしへりくだって書くことを許してもらうということを考えました。

失礼をお許し頂く事をお願いして、その2日前にあった卒業式の事を書かせて頂きます。

3月9日水曜日、息子の卒業式に行って来た。3年前、越境してこの中学に入った時の事情は99号で書いた。中学での3年間は、時の過ぎるスピードが速かった。入学のお願いにあちこち回った時が遠い昔の事のようだ。

カレンダーに卒業式の予定を書き込んだ時は随分先の事だと思っていたが、あっという間にその日になった。卒業生は少し遅く登校する。出がけに玄関前で写真を撮り、いつも通りに見送る。山越え片道約2.7kmの道のりだが、毎日よく通ってくれた。

良い天気になった。父兄の会場入りは9時15分受付開始なので、一番乗りかと思って行ったら、皆随分早くから来ている。全校生徒と来賓、父兄で体育館はいっぱいになった。

入学式当日は、ほとんど知り合いもいない状況だったが、以来3年、卒業式の日に「この中学に来て本当に良かった」と思える事に感謝する。素晴らしい3年間だった。良い先生と、良い仲間に恵まれた。念願であった全中へも福岡大会と、広島大会の2回行かれた。応援団長もやった。大きな怪我や病気もしなかった。

そんな事を一つ一つ思い出しながら卒業証書授与を見ていた。このセレモニーは本人より親にとって感動的なものだ。息子が登壇して、名前を呼ばれて、卒業証書を貰って、こちらに向かって振り向くところをビデオで撮りながら見ていたが、目の奥から熱いものが込み上げて来た。又一つ息子は成長して行く。良かったね、本当に良かった。この日が無事に迎えられたことを感謝する。

校長先生の話は分かりやすくて良かった。「義務教育がこれで終わります」と言われて驚いた。そのことについては今まで考えたこともなかった。改めて義務教育9年間の終わりの意味を考える。義務教育という事を特に意識したこともなかったので、高校も当たり前だと思っていた。しかし実は当たり前なのはこの中学3年までであって、これから先は自分達で選んだ道を行く事になるのだ。そのための高校受験でもあった。自分の意志を指針として進むことには、責任が伴う。今までのような訳にはいかない。明日からそれは始まる。しっかり歩んで行ってほしい。

卒業生代表の言葉の中で、今日の日を、「じゃあね」と別れた後はもう2度と同じ教室で皆に会うこともない、とその寂しさを表現していた。在校生代表の送る言葉にも泣かされた。卒業生の合唱、全校生徒合唱も感動的だった。

今日は何か大きなものの庇護下から押し出されて飛び立って行く日。先生達も無事に広い世界へ送り出せたことを喜んでいるようだ。卒業生退出の時には、先導する先生に送る言葉として、卒業生が先生に声をかける。いくつかの御礼の言葉の最後は、「○○先生、3年全員、大好きです!有難うございました」と声が合わさって大きくなる。先生が下顎を震わせながら涙をこらえて歩いてくる。

こちらも目を大きく開いて涙をこらえる。先生有難う。先生がいてくれてよかった。安心して通わせられました、と御礼を言いたい先生は沢山いる。泣いているのは先生ばかりではなく、生徒も泣いている。感動的な退出の演出だ。先生方本当にお世話になりました。有難うございました。皆さんに出会えて良かったです。そんな環境を備えて下さった素晴らしい主に感謝します。

コリント人への手紙第二 9:15
ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。


ヨハネの手紙第一 4:7
愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

月刊マサイで引用している聖書本文は、新改訳聖書第三版(©新日本聖書刊行会)を使用しています。
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