あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ


細君と我が母校(高校)の学校説明会へ行って来た。土曜日だったが、肝心の息子は、中学校で文化活動発表会があるので、二人で行く。

何で親だけでと言われるかもしれないが、息子を通わせたいから聞きに行くのではなくて、こういう機会でないと懐かしい母校の中には入れないし、細君にマサイの母校、出来れば3年間過ごした教室を見せてあげたかった、というのが一番の理由である。

マサイはここで初めて教科書と一緒に聖書と讃美歌集を買った。週2回、チャペルで讃美歌を歌って聖書の話を聞いた。授業では週1回、聖書の時間があった。全く素地のない心に、ここで初めて御言葉が撒かれたわけだ。

土曜日の午後の説明会にはたくさんの親子が来ていた。この学校は、教育方針に聖書にある「自分を愛するように隣り人を愛せよ」を掲げている。イエス様の口から出た大切な教えだ。校長の説明によると「明るく学ぶ」校風だという。校則は厳しくなく、生徒の人格を重んじる。学校紹介のビデオで、生徒達が語るこの学校の特色は、「自由」ということだが、その「自由」とは、「自分の勝手気まま」の主張ではなく、「隣り人の自由」を尊重し、思いやることを基本とする自由だという。

昔から(大学)受験、受験という校風ではない。学校生活では、勉強も、部活も、委員会活動も思い切り楽しめて、充実した三年間を送れる、という説明だった。合唱コンクールや、クラス別に出かける校外ホームルームの楽しそうな映像が紹介される。他の学校のように能力習熟度別のクラスは設けない、文系・理系によるクラス分けもしない、スポーツ推薦もなし、皆同じ条件である。校長曰く、「愚直に」過去からの伝統を守っている。

他の学校の説明会では、大学進学の実績をあげ、校則の厳しさや規律を重んじる、という説明をまず聞かされる。聞いていて、学校は教育の場ではなく、経営していくものなのだな、という印象を持たされた。しかしこの学校にはそんな印象はない。この校長が言った「愚直に」という言葉が全て表わしているのだろう。時流にはとらわれない。学校の雰囲気は明るくて楽しそうだし、すれ違う生徒は気持ちの良い後輩ばかりで安心する。

キリスト教精神に基づいて、週に2回の礼拝と聖書の授業がある、という説明を保護者は頷いて聞いている。子どもにキリスト教教育を受けさせることには大賛成なようだ。親はキリスト教教育を望んでいるのだ。35年前、この学校はマサイが選んだのではない。親が選んだわけだが、クリスチャンでない我が親もクリスチャン教育は良いものと認めていたのだろう。学校紹介のビデオの中でも、生徒たちがこのクリスチャン教育を、良いものと紹介していた。

1時間説明を聞いた後、高校の校舎見学へ。校舎のあったところが取り壊されて、跡地が一段低くなって人工芝のグラウンドになっている。建て替わったり、継ぎ足しで校舎が増えたりしていたのだが、我々の学んだ教室がある建物はそのまま残っていた。これを見てほっとする。

ここへ初めて来てからもう35年になる。何はさておき、まずは見学順路から外れて、3年間過ごした地下の教室へ。正面から見ると地下だが、裏から見ると1階になっている。え、行って良いのという細君を引き連れて、こっち、こっちと勝手知ったる校舎内を行くと、その教室は変わらずにあった。

上のフロアは教室が6つしかなく、7クラス目のG組は隔離されたような地下にあった。そのG組も我々の学年と、一つ上の学年しかなかった。2クラスだけ別個にあったわけだ。 男ばかり50人のクラスで、3年間クラス替えもなく、ここで入学から卒業まで過ごしたのだよと、細君に説明をする。

目の前にあった購買部は閉鎖されたて塗り固められ、音楽室はジムに、LL教室は別なものになっていたが、一番奥の美術室は変わっていなかった。何より15〜17才まで過ごした教室が未だに残っていてくれたのには感動する。自分の高校時代がそのままそこに残っていてくれたような嬉しい思いだった。ここは息子にも見せてやりたかった。

順路に戻って校舎内を見学する。昔は男子校で、学ランだった。それが制服もブレザーになっている。女の子が一緒にいる環境は全く別な学校なようだが、楽しそうな雰囲気はうかがえる。体育館、剣道場、柔道場、室内8コースのプール、食堂と見て回る。施設の充実度、明るく綺麗な雰囲気は、私立ならでは。良い環境である。

最後に1年生の時の担任、K先生はいますか、と立っていた校長に聞いてみると、自ら案内をしてくれた。日直だからいるはずだというので、校内放送をかけて呼び出してもらった。体育の先生だからというわけではないが、走って来てくれた。

挨拶すると、覚えていてくれた。「覚えてるよ」と言ってくれた言葉はとても嬉しかった。マサイの1年の時のクラスは、確か先生が初めて担任として持ったクラスだったはずである。帰ってくる場所がある、また迎えてくれる先生がいるというのはとても嬉しい。教員の異動がある学校ではこうはいかない。しかし先生も来年定年だという。今年会えてよかった。もう他には教えてもらった先生は残っていない。校長ですら、我々が2年生の時にこの学校へやってきたくらいの人だ。

生徒の自主性に任せて見守るという校風だからか、生徒たちには裏表がないと校長はいう。校門を出て豹変するのではなく、最初から同じなんですよ、と実に嬉しそうに話してくれた。

楽しい学校説明会になった。行って良かった。長い時を経た後でも、良い学校に通っていたんだなと思えて嬉しくなった。ここで撒かれた御言葉の種が、マサイは13年後に実ったわけだが、毎年若い心に撒かれている御言葉の種が、主の御計画に従って、必ずたくさんの花を見事に咲かせるようにと願っている。

マタイの福音書 13:8
別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。

マタイの福音書 22:37〜39
そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

月刊マサイで引用している聖書本文は、新改訳聖書第三版(©新日本聖書刊行会)を使用しています。
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