冠の写真


妻の友人が、毎年クリスマスレターをくれる。昔はエクレシアにお手伝い来てくれ ていたのだが、結婚して他の地域に行ってしまった。少しでも離れてしまうと、お互いの連絡は年に一度、こういう手紙を通してということになる。クリスチャ ンとしては、年賀状よりクリスマスレターを出したいとかねがね思っている。この友人のクリスマスレターを真似したい、というのもこのパソコンを買った理由 の一つなのだが、なかなか難しくて未だに出来ないでいる。

 内容は子供達(双子の男の子)の成長の記録になっていて、写真も何枚か入っている。近況を伝える記事の内、ほとんどが子供に関する事。その次がママ。書いているであろう本人の姿があまり見えてこないのが残念。

 年明けて届く年賀状も写真入りのものが増えてきた。街中で見かける写真付年賀 状なのだが、家族持ちはほとんどこの写真付年賀状で送って来る。しかしその写真は子供中心。子供を中心にして親も写っていれば良いのだが、ほとんどが会っ たこともない子供だけの写真である。面影を探しても似てない場合もあるので、誰から来た年賀状なのか分からない時がある。その子供からではなく、親からも らったのに、何故?といつも思う。

 その上コメントが書いてあっても、一番知りたい友人本人の近況は書いていなくて、子供のことだけが書いてある。いくつになった、何が出来るようになった、身長が伸びた、といった内容。いつも「今年こそは親の顔も映っているのをくれ」と書き送るのだが、聞いてもらえない。

 生活が子供中心なのだろうか、何故自分や奥さんが写っていないのだろう。子供は写しても、自分達は写さないのだろうか。子供はいつでも写せるが、奥さんは化粧して外出着の時でないと写させてもらえないのだが、そういう時はめったにない、などの事情があるに違いない。

 それとも家庭内での順位が、まず子供。何でも子供が先なのだろう。愛する順番が狂っているように感じる。妻は子供のママではなくて、愛する女性だったはずなのだが、何時の間にか子供第一、ママの事は忘れた、ということになっている。

 その点、家は違う、まず最愛の妻、その次がぼく。この事ははっきり息子に言っ ている。息子はジェラシックマンと化して怒る。何で僕が一番じゃないのかと。しかし家族3人みんな愛していると納得させる。だから我が家の年賀状には必ず 家族3人で写っているものを使う。毎年年賀状用の写真は意識して取るのだが、息子もカメラに向かってポーズするようになってきた。

 箴言12:4にもある通り、「しっかりした妻は夫の冠」。毎年もらう年賀状を見ていると、下の聖句の「愛する妻」を「子」に読み替えなければいけないような気がしてくる。

伝道者の書9:9 日の下であなたに与えられたむなしい一生の間に、あなたの愛する妻と生活を楽しむがよい。それが、生きている間に、日の下であなたがする労苦によるあなたの受ける分である。

 皆、隠していないで、1年に1度位はあなたの冠である奥さんの顔も見せて下さい。

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