お父さんは愛している


息子のスイミングのコーチが異動になった。いきなりの話で驚いたが、クラブでの選手や研修生を集めた送別会は、お母さんたちも含めてたくさんの人が集まって賑やかなものになった。その場で選手の父兄と飲む機会を、とコーチに打診したところ、「折角だからお父さんたちとも一緒に飲みたい」という。細君が幹事を引き受けて、場を設定してくれた。

コーチの引っ越しが迫っていて日付や時間に余裕がなかったので、港北でのコーチ研修会を終えた後、日曜日の19時半からと遅い時間のスタートとなった。みんな忙しいので、残念ながらたくさんの参加というわけにはいかなかった。女性は細君だけで、後はお父さんたち5人。焼鳥屋さんでコーチを囲む。

普段雨の日の送迎や大会費用の支払いなどのついでにコーチに会う機会があるお母さんたちと違って、お父さんたちは大会の時くらいしか会う機会がない。コーチとゆっくり話がしたかったし、お父さん同士とも話がしたいと思っていたので、楽しみに行く。

普段は温厚そうなお父さんたち、泳ぎのことはコーチにまかせているようだが、決して無関心なわけではない。自分の子どもたちのタイムは確実に頭に入っているし、各種標準タイムは当然、他の子のタイムまで入っている人もいる。熱くそれを語るか、闘志を内に秘めるかの差はあるが、自分の(選手自身のではなく、あくまでも親の)目標設定は頭の中でできている。話を聞いていると、普段口には出さなくても、頭の中は子どものことでいっぱいらしい。

色々な話が出た。きっとお母さん方が同じシチュエーションで話す機会を持ったとしても全く別の内容になったことだろう。

話題は、脳科学について、心の問題について、水着の問題、どこまでの目標を持っているか、子どもとの対話、なぜこんなに底辺の広いスポーツなのにプロスポーツにならないのか、全中、インターハイ、国体の話、などなど。話は尽きない。「普段の練習は節度を持って見に行かないようにしている。本当は行きたいのだけど、子どもが来るなと言うので、そこは自分の子どもの考えを尊重して行かない」。うん、うんとうなずく。自分の子どもの話なので、みんな実に嬉しそうに話している。話す時の目がとても優しい。子どもが可愛くてしようがないのが良く分かる。

選手のお母さん方は、マネジャー兼栄養士兼パーソナルトレーナー兼運転手のようなものなので実に大変だ。一方お父さんたちの行動を見ていると、大会の時は早朝真っ暗なうちからの送迎に始まり、入場の順番待ちの列に長時間並び、開場後は席取り、試合が始まるとビデオ撮影。地味な役割であるが大切なところを担っている。

選手の顔は分からなくても、いつも大会で見かけるお父さん方の顔は覚えている。大会のたびに必ず一番前に並んでいるお父さん、立派な三脚の上にビデオを設置して控えにいる時から引き揚げていくまで取り続けているお父さん。子どもが泳いでいる時に、黙ってビデオを回し続けるお父さん、叫ばずにはいられないお父さん。

このお父さん達は子どもが選手としてのデビューする前から一番のファンだったに違いない。実に良いお父さん達だ。子どもたちのことを心から愛している。コーチもクラブであった送別会で選手たちに「君たちにどんなことがあってもお父さんとお母さんは君たちの味方だ」と言っていたのをみんなうなずいて聞いていたのを思い出す。

子どもたちもこんなに愛されて幸せだ。ここに集うお父さんの子どもたちは実に良い子に育っている。大きな目標に真剣に向き合っているので精神的にも強い。小さい頃から大きな大会に出てきているので、しっかりしている。個人競技のようでありながら、仲間内で高め合って、励まし合って辛い練習を乗り越えていっているので、いろいろなところに友達がたくさんいる。良い仲間に恵まれて安心だ。

マサイも例にもれず、大会では開場2時間半前から外にシートを敷き、折り畳み椅子に座って待ち、開場後はものすごい勢いで席(自由席)を取る。これでやっと一仕事終えて落ち着ける。息子の出番が近付くにつれて、深呼吸をする回数が増え、うつむいて祈る時間が長くなる。何度も目標タイムを確認する。息子の試合が始まる頃には立ちくらみがするほどにまで緊張している。ビデオを撮りながら、聞こえないと分かっていても叫んで応援しないではいられない。

マサイはいつまでも応援し続けていたい。息子が現役で頑張っている限りは最前列で応援したい。天のお父さんもこうやって我々のことをいつも見守り、応援してくれているに違いない。とても有難い。感謝します。

第2コリント1:3
私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。

イザヤ書27:3
わたし、【主】は、それを見守る者。絶えずこれに水を注ぎ、だれも、それをそこなわないように、夜も昼もこれを見守っている。

ユダの手紙1:24,25
あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、
すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。

月刊マサイで引用している聖書本文は、新改訳聖書第三版(©新日本聖書刊行会)を使用しています。

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