息子のお古を


年が明けて中学の体育の授業ではサッカーをしている。息子は最近それが面白くなってきたという。親としては怪我をしたりどこか痛めたりすると水泳の大会にすぐ響いてくるので気が気ではないのだが、サッカー部の上手な子にアシストしてもらって、ゴール前からシュートを決める快感を覚えたらしい。

しかし軽いジョギングシューズでやっているものだからすぐつま先に穴が開いた。代わりを買ってやろうと言ったのだが、マサイがジョギングシューズを買い換える時にそのお古をもらえればよいという。マサイは2,000km走ったら交換するつもりでいたので、それまでにはもう少しかかる。しかしさすがにもう限界だったらしい。今朝になってどれでもよいからはいていくものを貸して欲しい、というので少し小さめのマサイのテニスシューズを出してやったら、小指が当って痛いという。結局マサイの普段履きのスニーカーをはいて行った。28cmが丁度よいようだ。

息子はよくマサイのものを着ている。一人っ子なのだが新しい物を欲しがらない。ここはマサイと一番違うところ。寝る前には引き出しを開けてマサイのパジャマを着ていく。マサイのというのは決して新しい物ばかりではない、古くなって色が落ちたようなものでも構わず着て行く。神奈川の大会へは細君の真っ赤なベンチコートを着て行くのだが、大阪の大会へはマサイのベンチコートを着て行った。それがそんなに大きくはない。買ってやろうかと言っても、いらないという。

特に関心がないのか、サイズが合えば親のもので十分だと思っているのか、どちらにしても親のものを喜んで身につけてくれるのは嬉しい。我が家は息子ばかりではなく、気がつくと細君もマサイのものを着ている事がある。

教会では息子の小さい頃の服を次の世代によく引き取ってもらっていたので、見たことのある服が教会堂で走り回っているのを見かけることがあった。しかし最近は細君が息子のお古を来ている。細君のものだと思って洗濯をたたんでいると、名前ペンで息子の名前とチーム名が書いてあったりする。すぐ大きくなるから物が悪くなっているわけではないので、細君は狙っているのもあるようだ。日頃大切に着るように言っている。

水泳の大会に出発する早朝は随分冷える。寒いだろうから保温性のスポーツアンダーを着て行くようにと言うと、きついという。喉のあたりが苦しいらしい。肩幅や胸囲でとられて首回りがきつくなっているようだ。息子は大人のMサイズを着ているのだが、マサイが同じもののLを着ているので、代りに着せてみると丁度良い。逆にマサイが息子のものを着てみると、こちらも丁度良い。ランニングで上半身の筋肉がすっかり落ちてしまったので、最近サイズダウンしている。それでMサイズが丁度良くなった。

今度はマサイが息子のお古を着るようになった。大きくなるように祈り続けてきたが、いつの間にか祖母を抜き、母を抜き、祖父とほぼ同じになった。今、マサイに迫りつつある。きっとあっという間に追い抜いて行ってしまうのだろう。親としては嬉しい気持ちで、頼もしく思う。心も体もどんどん大きくなるように祈っている。イエス様よろしくお願いします。

コリント人への手紙第一 3:7
それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。

ペテロの手紙第二 3:18
私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。


月刊マサイで引用している聖書本文は、新改訳聖書第三版(©新日本聖書刊行会)を使用しています。

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