鍵は賛美歌


細君が今年の漢字として挙げたのは「挑」。それに向かってちゃくちゃくと成果を上げていることは先月紹介した。さてマサイはどうか。マサイの挙げた漢字は「穏」。あまりに忙し過ぎる毎日に自分を見失うことなく、穏やかな人として、自分にも、回りにもゆったりとした気持を持つ、というのが今年の目標であった。

ところが年が明けて暇な時がない(年末から続いているのだが…)。忙しい毎日。朝の目覚めと同時に今日の仕事を組み立てる。マサイは仕事の速さや段取りに関しては誰にも負けない、と昔から自負している。その自分がやっていても仕事は終わらない。3つ4つの事を同時にこなしながら、優先順位をつけて片付けて行く。優先順位の下位にはいつ手をつけられるか分からない。

最近は細君が息子のと一緒にお弁当を作ってくれるので、それを席で食べている。細君が栄養バランスをちゃんと考えてくれているのが良く分かる。PCの画面に今日の波情報を写しながら、湘南の波の大きさを確認し、サーフィンをしている写真を見ながら10分弱、しばしの休憩を取る。出社後唯一ほっと出来る瞬間である。

回りも忙しそうだからと気を遣ってくれているのが分かるが、ほおっておいてもらえるわけもない。席とプリンタ機を走って行き来する。部長だろが、専務だろうが、「今これを終わらせるまで」と待ってもらう。しかし一つが終わらないうちに、2つ3つ仕事が増えて行く。最近はメールで仕事が送られてくる。電話でなら居留守が使えるのだが、メールではその手は使えない。それに一つ一つ返信していると、完全に仕事は滞る。

19時半には会社を出ないと息子が夕方のトレーニングから帰って来るのに間に合わない。家族揃っての食事を何よりも優先したいために、日中人の2〜3倍の速度で仕事をこなし、息を切らして片付けて行く。ピリピリしているのが分かるのだろう。みんな遠慮がちに「今、良いですか?」と寄って来る。随分回りにも迷惑をかけているようだ。

それならと、家族との食事より仕事を優先して21時、22時までやっていると、翌日の仕事の効率が確実に悪くなる。だから時計を気にしながら、シンデレラ状態で走って会社を出る。家の近くまで来て、すとんとエネルギー切れを起す事もある。

しかし家族揃っての食事は良い。食事中はテレビをつけないので、ジャズやクラシックを聴きながら、細君が作ってくれた暖かい料理を一緒に食べる。今日何があったかを話し、今日のニュースなどについてゆっくり話し合う。この時間は何より張っていた神経をゆっくり休ませてくれる。この時間があるからこそ、翌日も追われるような仕事に負けずにいることが出来る。

忙しく苛々する心は週末のジョギングで解消している。体の隅々から汗と一緒にストレスを流し出す。走っている間は目に映るもの以外に意識は飛ばないから、これも神経的には休まっているのだろう。走る距離が段々延びて行く。

しかしこのままで良いわけがない。目標に掲げた「穏」ではなく、去年の「苛」をまた繰り返しているだけだ。何か良い解決策があるはずだと模索しながら満員電車に揺られているのだが、まだ具体的なものは見つからない。

そんなふうにまさに一心不乱で仕事をしていると、近くの聖ロカ病院がお昼と夕方に鳴らす鐘の音が聞こえてくる。時計すら見れずに仕事を続けている時には時報替わりになる。鐘の音は短いが賛美歌である。日替わりで、昨日は「アメイジング・グレイス」だった。おどろ〜くばかりの〜、めぐ〜みぃな〜あり〜、とメロディーがチャイム替わりとなる。

忙しい時にはこの賛美歌に救われる。いっとき目の前の仕事から目を上げてほっとできる。最高音が出ないのか、一音はずれているのもご愛嬌。あぁチャイムが主を賛美しているんだなぁ、と考え、張っていたものが一時緩む。主に「ちょっと休め」と肩を叩かれているようだ。だからチャイムが鳴っている間、不思議と心が静まる。「父、御子、御霊を〜」と一緒に心の中で歌ってみる、あぁ良いなぁ、としばし自分を取り戻す。

今年の「穏」の鍵はここにありそうだ。

詩篇22:3
けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。

エレミヤ書17:14
私をいやしてください。主よ。そうすれば、私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。

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