金婚式


金婚式だからどこか一泊で温泉にでも招待するよ、というのが父からの最初のお誘いだったが、多忙を極める息子のスケジュールではそれが実現出来ず、一緒に食事をということになった。実家から来るのに便利な銀座に細君がイタリアンのレストランを探して予約を入れてくれた。本当の記念日は11月10日なのだが、息子の大きな大会が落ち着くまで待ってもらった。

当日の銀座は土曜日の夕方ともあって、ものすごい混雑だった。通勤の行き帰りには通っているものの、休日の銀座を歩くのは久し振りで、その混雑に驚いた。最初は早く会ってデパートで買い物でもと母親に誘われたが、我々の生活する範囲で必要なものは銀座のような高級思考の場所にはない。ゆっくり食事をしながら話しましょうということにして、集合はレストランにしてもらった。

金婚式と言えば結婚50周年。両親も76才と74才になった。健康で結婚50周年を祝えるというのはめでたいことだ。マサイは82才にならないと金婚式を祝えない。銀婚式まではあと9年。

銀座8丁目の店の前には先に着いた父が待っていた。まだ店が開いていないのかと思ったら、早く来すぎてまだ暗い店内に入ったとろ、母が段差に気付かずに転んで肋骨を打ったという。店の人に湿布を貰って休んでいた。随分前からこの日を楽しみにしていたというのに残念なことだ。幸い強く打っただけでそれ以上ひどい状態では無いらしい。ころんだことの驚きの方が大きかったに違いない。

プレゼントは記念になるものを、と細君がいろいろ探して注文してくれたものを渡す。ワインのボトルに50th Anniversary Isao & Fumiko Forever Happiness 2008.11.10と彫ってある、世界に一本しか無いワイン。何でも持っている親なので、何を喜ぶだろうと思っていたが、「良いものを貰った」ととても喜んでくれた。

昔から結婚記念日は夫婦お互いのことだからと、子としては祝ってあげたことが無い。親同士でどこかで祝っていたという記憶も無い。だから正確な日付は今の今まで知らなかった。とにかく2人とも元気でいてくれたことは有難い。マサイはわがままな一人息子で今まで何か親孝行をしてあげたという事は無いが、自信を持って言える一番の親孝行は、我が奥様と我が息子。両親もそれを何より喜んでいる。

食事をしながらゆっくり話が出来た。父親は今の息子の年齢(13歳)の時に終戦を迎えている。同級生が郵便航空兵等として、志願して試験を受けに行ったと言う。合格した者は無事には帰って来たが沖縄へ派遣されて行ったというが、あまりに若い。

珍しく昔話をしてくれた。その当時は履物が無かった。下駄があれば良い方だったらしい。陸上競技部にいたが、裸足で100mを13秒いくつで走ったと、今でも記憶していた。自慢のタイムらしい。今のように恵まれたシューズで、アンツーカーのトラックで、という時代ではない。食べるにも生活するにも大変だった時代。父の一番の自慢は、小・中学校9年間皆勤賞、一日も学校を休んだことが無いということ。息子も孫もその偉業は継げていない。

最後は大皿に「祝金婚式」とチョコレートで書いてデザートを出してくれた。我が息子の活躍をこれからも見守っていきたいので長生きをすると言う。細君や息子と嬉しそうに喋っている。有難いことだ。

母は背中が丸まって来た。息子の方が背が高い。先ほど転んだのもあるが、歩き方が少し心配。そんな母だが、大好きな銀座に早く着いてあちこち見て回っていたらしい。三越の中に入ると水を得た魚のように活き活きとなって、さっといなくなってしまったと父がぼやいていた。

我々の金婚式の年、マサイは82才、息子は46才。その時にも楽しく一緒に食事が出来れば良い。それまでは健康で足腰丈夫でいようと細君と話す。家族仲良くいつまでも健康でいられるのが一番の幸せ。

創世記2:19〜24
神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。
こうして人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、人にはふさわしい助け手が、見あたらなかった。
そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。

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