父の家にある住まい


婦長さんから電話があったので病院に向かっている、というメールが来たのは通勤途中だった。次に細君が連絡をくれた時には電話口で泣きじゃくっていた。入院中の義父が亡くなった。84才の誕生日を祝ってもらったばかりだった。

細君は病院で部屋を移してしばらく亡父と二人きりで過ごす事になった。午後マサイが着いた時にはベッドの横で真っ赤に目を泣き腫らしていた。室内には父が好きだったバッハの無伴奏チェロ組曲が流れている。ベッドの上に横たわったおでこに掌を置いてみると、まだ温もりが残っていた。いつ起き上がって来ても不思議はない程、穏やかな表情をしていた。

葬儀は父母の属する大泉学園の教会でやってもらう事になった。仕事で仏教の葬式ばかりに出ていたので、教会でやる式は嬉しい。いつも無駄に思えて仕方がなかった立派な祭壇の代わりに、教壇の前に花がいっぱい綺麗に飾られた。

故人はその前に横たわっていたが、遺影は置かなかった。その代わりに今までのアルバムの中から細君が選び出したスナップ写真をコルクボードに上手く並べてもらい、イーゼルの上に飾ってもらった。人生のハイライトシーンを追うようなちょっと良いものに仕上がった。

学生時代の凛々しい姿、仕事中に渋い表情で煙草の煙に目を細めているもの、文士のような浴衣姿、お気に入りのベートーヴェンTシャツを着てカメラを見ているもの、結婚式でタキシードを着てウェディングドレス姿の細君と腕を組んで入場してきた時のもの。細君は選ぶのが辛かったと言うが、この大小様々な写真は故人の楽しかった人生を見ている皆に語ってくれた。皆がゆっくり見てくれたし、初めてそれを見た人にも、その人となりが良く伝わった。無理やり見つけ出した1枚を大きく引き伸ばすより余程良かった。

通夜にあたる葬儀前夜は牧師と義母、兄夫婦、我家3人だけで納棺式を行った。牧師先生が読んでくれた聖句は、ヨハネの福音書14章。

14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
14:4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」

この聖句の意味がこの時初めて良く分かった。イエス様はあなた方の為に部屋を用意しに行くと言ってくれている。義父はその用意された部屋へ行ったのだ。今ごろは想像出来ないほど楽しく過ごしているに違いない。皆で父を柩の中に移し入れた。そして棺の上には花を盛って作った十字架を飾った。

翌日のお別れの式には遠くからたくさんの人が来てくれた。日の光が入る会堂で、綺麗な花に囲まれて、とても明るい気持ちのよい式だった。

牧師は聖書から2箇所を選んで、「神の愛から引き離すものはない」という説教をしてくれた。

詩篇121篇
121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。
121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

ローマ人への手紙8章
8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。
8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

そして以前父が書いた「自分はどのようにしてクリスチャンになったか」、というような証しを読んでくれた。それは葬儀に集う人たちへの素晴らしい証しになった。父が20代で初めて聖書と出会った時の事や、60才を過ぎて洗礼を受けた時の事など、その時どう感じ、何を思ったかが書かれていた。直接本人から聞いた事はないが、今ここでマイクを持って喋ってくれているようだった。続いて以前属していた久里浜教会の牧師が思い出話を語り、細君が良く遊んでくれた「大好きだったお父さん」の姿を紹介した。

それは訳の分からないお題目をただ唱え、儀式的に事を行っていく葬式と違って、間違いなく、義父の葬儀だった。そこには父の思い出がいっぱいあった。そして式の間中誰もがそんな義父の事を思い出して、考えてくれた祝福された時だった。最後は皆で棺の中を花で満たした。

良い式だった。こんなに故人が中心にいる葬式は初めてだ。父は亡くなったのではく、天の用意された場所へ行ったのだ。それがはっきり分かって感動した。

戻る