弱さを誇っていいんだ


2016年のオリンピックはどこで開催されるのだろう。東京も立候補しているが、他にはシカゴ、マドリッド、ドバイなど世界各地が手を上げている。次々回である2016年、息子は20歳。丁度、出場するかもしれない大会なので、この話題には興味津々である。出来れば東京以外が良い。東京ならたくさんの人が応援に来てくれるのだが、物見遊山的な考えを持つ親は、観光も兼ねて外国が良いと思っている

同じスイミングクラブの大先輩が出ている今年のオリンピックは、緊張して見ていた。泳いでいるタイムのすごさが分かるだけに、見ていて力が入る。北島選手の個人種目決勝の日には、息子の試合の日のように、朝からドキドキしていた。

人間の限界に挑戦するスポーツは、見る者にも大きな感動を与えてくれる素晴らしいものだ。頂点を極めるのにどれほど大変な日々があったのか、少しは想像出来る。それも合わせて考えると涙が出て来る。本人の戦いはものすごかったろうが、親の苦労もひとかたならぬものがあったろう。

試合後、勝者になった選手たちや敗れた選手たちがインタビューに答えているのをTVで見たり、新聞で読んだりした。喜びも悔しさもあるコメントだが、実はいろいろな人が言葉は違っていても、面白いほど同じことを言っている。鍛え上げられた肉体ではなく、それを内面から支える精神の話し。アスリートである我が息子にもつながる話しだから書き留めておいた。

ここに上げたのは、頂点を目指す者だけが味わえる試練だろうが、ジュニア・アスリートにも共通の話題である。己との戦い。ここでは精神的に強く、気持ちを強く、ということが取り上げられている。選手は対戦相手にではなく、自分に打ち勝つということが重要なようだ。

弱気になるな、守りに入るな、いろいろなマイナスイメージを払拭して攻めて行け。世界の屈強な対戦相手より、自分の心というのは余程手強い相手なのに違いない。世界のトップを目指すアスリートでさえ、最後に乗り越えて行かなければいけないもののようだ。

どうして自分自身がそんなに手強良いのだろう。自分を信じて、相手を怖がらない。しかし気持を強く持って攻めるということは、なかなか難しい事のようだ。不安な気持ちは自分の内側から勝手に浮かび上がってくる。押さえようとしても、指の間から勝手にすり抜けて沸きあがってくる。自分の気持でありながら、自分で制御できるものではない。

これに打ち勝てというのは至極難題である。しかしこれがあるから人間なのかもしれない。なぜなら、そこに神様の力が働くように聖書には書いてあるから。クリスチャンには何より強い味方がいる。

コリント人への手紙第2 12:9
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

ジュニア・アスリートである息子にはこの聖句がついている。何より心強い。弱さを誇って良いのだから。今までそれに打ち勝て、乗り越えろ、と叱咤激励してきて、それに負けてしまっている息子を見て歯がゆい思いをしてきたが、これからはこの聖句が息子を支えてくれる。忍耐力が試されるアスリートの親にとっても嬉しい聖句である。

スイマーの世界も年度の後半戦に入る。この聖句を楯に一緒にトップを目指して行こう。

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