どこまで見てやれば


息子の中学は二学期制なので、夏休みがあけても一学期が続いている。10月7日までが前期で、3日間の休みを挟んで二学期が始まる。

親の世代は三学期制だったから、感覚がずれている。夏休みの前に成績表を貰って、ほめられることはまずないが、一度怒られてしまえば遊べる夏が待っている。親からすれば、悪かった教科をゆっくりやり直して二学期に備える期間でもあるのに、夏休み前に成績表が来ないので、弱点を見直すことも出来ない。

また夏休みあけに期末テストが待っているので、開放されたように遊んでばかりもいられない。学校から来たプリントに期末に向けての勉強計画表があって、8月11日から日付が入っている。夏休みは遊ぶなと言われているようだ。もう中学生なのだから当たり前だと言われればそれまでだが、それではあまりに可哀そうだ。

普段忙しい生活をしている息子は、夏休みに入ってより忙しくなった。スイミングクラブの朝練、夕練に合宿、部活、大小さまざまな大会、漢検と予定がびっしりつまっている。各教科から出ている宿題を合宿に行く8月中旬より前に終わらせないといけないとなると、前半から忙しい。予定表に時間刻みのスケジュールを入れて張り出した。

親子3人で一緒に遊びに行かれたのが1日だけ。夏休み中、家族の全意識を8月26日の全国大会に集中させていたが、それが終わってほっとする間もなく、翌日には9月1日からの期末試験に気持ちを切り替える。この時点で期末試験まであと5日。その内の1日は県の新人戦でつぶれる。皆一体いつ勉強しているのだろう。

マサイはそんな忙しい中学生のために勉強を見てやっている。6月の中間テストは5教科だった。中学に入って初めての本格的な試験。普段学校でどの程度聞いて理解しているのか分からないが、範囲表などを貰ってきたので一緒に準備をした。

どの教科も出る範囲は教科書とノート、授業中配布されたプリント、資料集からと決められている。範囲も分かっている。ここまで教えてもらえればとても楽だ。ただ覚えればよい。大人になった今だからこそ言える言葉だが、ただ試験に出そうなところは何となく分かる。一緒に勉強したので、返って来た答案の点数が自分につけられたような気がして、一喜一憂していた。

9月の期末テストは4教科増えて9教科になった。中間の時のように準備をしたかったのだが、時間が足りていない。社会と英語だけは見てやれたが、その他は見てやれなかった。親の方があせってしまった。本人は返って来た点数をさ程気にする事もない。細君は逆に息子に慰められてしまった。

忙しくて塾に行く暇もないからと家庭教師の真似事をしているが、甘い親だなぁとつくづく思う。自分はこんな事をしてもらった覚えはない。ただどこまで自分でやらせたら良いかが分からない。教えるのは簡単だが、親がやり過ぎては自主性を削ぐ事になるのかもしれない。「分からないから教えて」と言われれば教えてあげる。しかしとことんまで考えて1問を解きあげる喜びを奪っていないか。親がやってみせれば答えはすぐに出る。それに満足して自分で考える事をやめてしまえば、一人になった時にどうなるのか。

しかしそれをせずにただ見守ってやるという事が出来ない。まだ教えてあげられる程度の内容だから、おせっかいをしているのかもしれない。どこまでやったら良いのか、これで良いのだろうかと常に自問自答している。

息子も受身で聞いているのかと思えば、そういうこともない。合宿に持って行った理科の問題で分からないところがあったが、同級生に教えてもらって理解出来た、と嬉しそうに話してくれた(水泳の合宿にも毎日勉強時間がある)。試験後、それが出てバッチリ出来た、とお礼のメールを送っていた。

仕事先での雑談の中でそんな話しをしていたら、「親子で一緒に勉強が出来るっていうのは良いよね」と言ってくれた。「そんな事はいつまでも出来る訳ではないし、父親が一緒に勉強を見てくれたっていう記憶を持って大人になるのも、次世代の為には良いのかもしれない」。元学校の先生にそう言ってもらって何となく安心した。大人の側の考えかもしれないが、息子もいつか父親になる。その時にどう思い出してくれるか。

一生懸命子どもが勉強をしている時に親は何をしていたら良いのだろう。遊んでいるのもいやだ。教科によってはだんだんマサイの手におえない内容が出て来るが、自問を続けながら祈りに解決を求め、良策を探して行こうと思う。

ヨブ記32:7
私は思った。「日を重ねた者が語り、年の多い者が知恵を教える。」と。

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