父のせなか


A新聞の日曜日に連載されている「おやじのせなか」という欄を毎週気に入って読んでいる。「学ぶ」というページの中にあるのだが、毎回著名人が自分の父親を語っている。生きている父親もいるし、もう亡くなった父親を語っていることもある。皆一応に父親について子供の頃に抱いていた気持が、大人になるに連れて変わってくる。自分が父親と似たような年になった時に語ると、実に暖かい視線で一人の男の生き方を語るようになる。違った生き方をしていても父親の生き方を認めるようになるのかもしれない。

5月の連休でマサイの実家に家族揃って行ってきた。埼玉なので近い分、いつでも行けると安心してしまうので、行くのは年に数度。2人とも元気でいいてくれるので安心している。両親も高齢なので、長くいると疲れてしまうから泊らずに帰って来る。

そんな父からワープロで打ったB5判の原稿と絵図を8枚もらった。裏にはH20.4.19と日付が入っている。

内容は父の病状について。父は6月で76才になる。また11月には金婚式を迎える。最近の健康状態について「体力の衰えを感じるこの頃である」と始めている。

まずは3年前、健康管理のつもりで受けたMR検診の話から始まる。MR検査で頚動脈の写りが悪かったので、CT検査での確認となった。「人生最大の危機」とか「胸騒ぎがした」という言葉が出て来る。結果は「右の内頚動脈閉鎖と左内頚動脈狭窄」という診断。初めて聞いた血管障害の病名に驚いたらしい。

精密検査へ。このあたりで「覚悟」という言葉が出て来る。レントゲン他、右大腿動脈からカテーテルを挿入して脳内血流を撮影。検査でベッドに横たわるのを「俎板の上の鯉」と書いている。

検査結果は、右頚動脈は内側血管が100%詰まり、その先血流がない。二股ソケットの一方が壊れて電気が流れないのと同じと書いてある。そしてもう片方も詰まりはしないものの、狭くなっている。血管図のコピーが一緒に付いていて、動脈はちゃんと赤く塗られ、詰まった箇所を記してある。

回復手術は頚動脈を切開して詰まった血の固まりかコレステロールを除去するのだが、リスクを伴うし、専門医は国内にも数少ないということで医者も勧めなかったらしい。頭部左側からの血管がバイパスの役目を十分果たしているので現状のままで大丈夫でしょう、ということになった。血流改善の薬を常飲して、節度のある生活をするように、という診断。治すのではなく、共存という勧めに不安を感じている。

医師の説明は専門的過ぎて理解できない点が多いと、市立図書館で専門書を探し出し、複雑な血管系図と解説を熟読したという。原因は動脈硬化症である。この血行障害の症状を読んで思い当たる節があったらしい。昔からコレステロールの値は高かった。積年の苦痛の根源を発見したような喜びを感じたとある。

この話は本人から以前聞いていたのだが、文字になると何かの宣言なのか、遺書のようでイヤだなと思いながら読む。

積年の苦痛とは、父は40才(マサイが12才)を過ぎてから貧血状態、右目のかすみなどという症状を感じていた。心臓が苦しいと言っていた時期もある。それが仕事中、通勤中(小田原から品川まで東海道線で1時間20分かけて通っていた)、構わずに出るので、いつどんな時に起るかということに悩んでいたらしい。

子どもの頃父は普段健康そうに見えた。よく医者には行っていたが、何度も行くので神経質なのは祖母の血かと気にしなくなっていた。当時近所の内科や眼科、耳鼻科へ行っても、町医者レベルでは病状の分析は出来なかった。いつも原因が分からずに不満そうに帰って来ていた。

普段は一見健康そうなので、他人の同情を得られない。原因が分からない病に対しての不安もあっただろう。家族も気付かなかったが、本人はそれで落ちこみ、心を病んでいたようだ。太っているわけでもなく、極端に痩せているわけでもない、標準体型である。

病状やその度合いは本人しか分からないので、心配のしようがない。当時のマサイも病名がはっきりしないので、病は気から程度にクールに見ていた。父の父、マサイのお爺さんは神奈川県の西の方で教育長をしていたほどの人。明治生まれの割には背も高く、健康でしっかりしていた。そんな祖父と比べてしまっていたのかもしれない。

マサイが高校生の時に会社で倒れて北品川の病院に入院した事がある。その後、胆石で自宅に救急車を呼んだ事もあった。それぞれ大事には至らなかった。

父は戦前の生まれであるが、小学校から高校卒業までの12年間、皆勤賞という無欠席記録を人生の誇りとしている。そんな丈夫な体が病に犯されるのが理解できなかったらしい。精神的にも肉体的にも疲れ果て、人生の幕引きまで考えていたようだ。

しかしその後、良き先輩に勧められた仕事の新分野が気分転換になったらしい。気分的に解放されて、国内、海外を飛び回るようになった。同時に良い仲間、良い出会いも増えた。父の人生の中ではとても良い時代になったようだ。病の事も忘れていられたらしい。

そんな長い間気にし続けていた病の原因が分かっただけでもほっと出来たようだ。しかしその病から解放されたわけではない。現在の治療法は、投薬、節食、運動。市営プールに自転車で通い、水中歩行を始めた。以後陸上歩行に切り替えたが、週5回、近所の元荒川沿いの遊歩道を季節を感じながら歩くのを続けている。運動をし過ぎて、血管に詰まったものが血流に押し出され、脳梗塞につながるかもしれないという恐怖もあるようだ。

「今、死の恐怖感はあまりない」と書いてある。却って恐いのは寝たきり病人になること、延命治療を絶対に拒否すると宣言している。しかし世を諦めたのではなく、願いも最後に加えている。孫が息子が立派なアスリートとして活躍する姿を見たい、会社の社友会への出席、金婚式、小田原で来年ある小学校の同窓会への出席、と楽しみを負い続けて行きたい。だから頑張って行こう、母と一緒に、と締めくくってある。

これを読んでいるマサイは、子供の頃に病院によく行っていた父を見ていた目とは既に違ったものを感じている。マサイが近寄ったというより、父親が歩み寄ってくれたようにも思える。さしでゆっくり語り合うという事をしないまでも、心が一つになったような気分。照れくさいようで互いに遠慮をしているようなところもあるが、相手に対して暖かいものを持っている。出来るだけ長生きして欲しいものだと思う。

ヤコブの手紙5:15
信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。

エペソ人への手紙6:1〜3
子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。
「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、
「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。

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